戯言と作品レビューや分析のブログとその時の思いつき。

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くだらないシンクロシニティに導かれて、六本木ヒルズを平面に展開したような街でノスタルジーと虚言癖のある女の子の話をした。

愛も苦しみも環境に埋め込められている気がしてならない。環境という金型に流し込まれたシリコーンゴムみたいなもんなので、熱も覚めて液体から個体になっている。その金型から抜き出される事を、通過儀礼といったりもするのかもしれないが、よくわからない。

えてして、昔の自分と今の自分が戦っているだけなのに、昔の自分を誰かに投影させたり、未来の自分を誰かに投影させることによって、代理戦争を行う事がよくある。直接的な対決ではないだけに、問題はいつまでたっても解決されず、泥沼化する。それは武器商人のせいではなくて、そもそも直視したくないから代理人を立てるわけだ。

ノスタルジー。失われたものに対する、自己投影。自己愛を無のものにそそぎこむ事によって、それは唯一無二のものになる。よくあるフェティシズムかもしれないし、帝国海軍の戦艦の名前を持つキャラクターを思い起こしてもいい。

ノスタルジーを物ではなくて人に適応したときのよくある悲劇がある。「彼」や「彼女」は母親のコピーでもなければ、高次の存在のインターフェイスでもない。一個の人格をもった人間である。愛が強ければ強いほど、「彼」や「彼女」は違和感を感じて、逃げていくというパラドクス。

それでも、ノスタルジー原理主義的な立場を貫こうとすれば、いっぱいたくさんの嘘をつかなければならないのかもしれない。必然的な嘘は、それが表面的な成功とまったく同じだけの悲劇を内側に用意しているのかもしれない。無理が祟れば、それこそ破綻してしまう。もちろん、嘘も突きつければ真実になるという牧歌的な見方もできるとは思うのだけど。

メタフィクショナルに、そんな話をしている相手ともお互いに嘘を付き合っている気分になってくる。それが、悲劇にならなきゃいいんだけど。まぁ、昔と比べたらちょっとは地雷は踏まないように、なったかもしれない。昔のおれは、むしろ地雷は踏むもんだと思っていたし。
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