戯言と作品レビューや分析のブログとその時の思いつき。

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前のエントリからの続き

 連載中断と前後して起こったのが、ナギ様の非処女騒動です。

 連載中断直前はこのような筋運びでした。

・ナギに告白するぜとテンションがあがる仁。
・ナギとそっくりの行動をとる謎の男大東の描写。
・ナギの思い人だと大東を突きつけるざんげ。
・大東=ケガレと同化するナギ
・仁は「失恋」してしまう。

 ここで、連載が中断してしまいます(一番良い所で3年半!だったわけですね)。

 まずは、この非処女騒動についてよくある誤解があるので確認しておきます。

1)本人が倒れたのはこの騒動が起こる前で騒動の最中は集中治療中という状況なので、この案件にショックを受けて連載休止といった因果関係は無いという事。読者サイドとしては騒動→連載中断という流れなので紛らわしいですが。

2)非処女騒動の起源をかんなぎだと思われている人もいるのだが、それも誤り。少し調べればわかりますが、原作物を破壊してネットにさらすという行為を含めての非処女騒動というのは前例があります。

 まず問題提起したいのは、この非処女騒動というが作家にとって想定内の出来事だったのか想定外のアクシデントのどちらなのか。というのも、こういった展開である程度の反発がある事はある程度、想定済みだったように見えます。

 5巻の第二七幕では、劇中でこんなやりとりがあります。
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かんなぎが3年半ぶりの新刊です。

 どうしてもこのブランクに至る状況を語ったり、武梨さんが復帰できた奇跡に触れたくなります。が、作品は作品として評価されるべきでもあります。という事で、まずは状況的な整理を最初にやって、エントリを改めて連載再開後のネタバレをあまりしないように気をつけながら作品についても触れたいと思います(とはいえ改めて読み返すとネタバレ気味ですので潔癖な人は最後まで読まない方がいいです。新鮮な気持ちで新刊をどうぞ。)



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武梨えり展に行った。



もう既に会期は終了していますが(2009.8.1-2009.9.6 於青山GoFa)、アフターレポートにも価値があるさという事で書いてみます。

■会場
 GoFaはマンガ関係の展覧会を数多くやっているこじんまりとしたスペースに原画を中心とした展示。過去にはよつばと展などをやっていた。
 ABCこと青山ブックセンター本店の横で、最寄り駅は表参道になる。
 会場入り口は少しわかりずらくて、ポスターの貼ってある鉄扉の先の階段の先が入り口になっている。エレベーターを使うと、どこかのオフィスに入って気まずいので注意が必要。

■原画について
 展示されているのは、まだ未完成の原稿。ベタ塗りやトーン作業背景処理がされていない段階のものが展示されている。
 というのも、この未完成の原稿をスキャンしてPCで最終的な形にしているらしく、完成原稿はデータでしか存在していない(*)。ちなみに、完成原稿のコピーもバインダーに閉じられているので比較しながら見ることも可能だった。
 髪の毛なども、筆のタッチが必要な部分のみ書いて、あとは白く抜いてある。修正などもPC上でされるのだろう、ホワイト修正なども乗っていない。なので白と黒のコントラストが鮮やかだった。

 TAKE MOON時代の作品も展示されていたが、こちらはいわゆるペン入れした原稿にベタを塗ったり、トーンが貼ってあるおなじみの完成原稿だった。シエルのカレー好きという定番のネタ設定を、いじりつつも、ちょっとした青春の1ページに変換する手際は鮮やか(私が行ったのは3期で、この期間中はこの話が展示されていた)。カレー=人にはいえない趣味みたいな解釈で、好きな人を前にして戸惑ったり悩んだりする、この狙い済ました暗喩の使い方は流石。

中学生時代小学生~中学生時代のマンガについて
 ここでしか見られない作品として、小学生だか中学生だかに作成された肉筆回覧誌とそのコピーが置いてあった。展覧会のお品書きには、「・小学生の頃より描き続けている、ライフワークとなっている漫画の展示。」とある。

 ネコくんが主人公で、妖精と出会い、半ば巻き込まれるように異世界を旅をする。ドジばかりの妖精が魔法を唱えるというちょっとドタバタがあったり、浦島太郎のように妖精の館でしばらく過ごして、やがて別れがやってくるというようなお話。
 小学生なんで絵も上手くないし、技術的に秀でているわけでもない。一コマだけカラーにしてみてあとは力尽きたり、線を引くときに物差しの間にインクがたまって生じる流れ線があったりする。だけども、必死に描いている感じは伝わってくる。

 マンガが好きな女の子というスタートから「マンガ家」に至るまでの間や、共通点がないんだろうかと考えてしまう。

 ラストで画かれる妖精との決別のシーンではコマにはみ出るようにしてくさいくさいと連呼していたり、魔法少女ものというジャンルを意識したシーンがあったり、この「距離感」は武梨まんがの距離感だなあと思うが、うがちすぎな気がしないでもない。
 魔法少女だったり、日常世界と異世界の混じり合いだったり、ドタバタ感だったり、最後は「決別」だったりといったモチーフが同じだよなあ。って、これは完全にうがった見方。

 ただ、ずっと「読者」に向けて描き続けてきた事はいえるだろう。続きものになっていたり、裏表紙には閲覧隅を示すのだろう赤い判子がずらっと押してあったり、「読者」に向けて描いていたことがわかる。

【10.20 誤字修正。このパート修正・加筆しました。カトゆーさんに、中学生時代のマンガ!と紹介されたのですが、あくまでも小学生時代からのライフワークという表記であって不正確な表記だったかもと訂正しました。】

■コミュニケーションノートについて
 会場にはテーブルがあって、その上にコミュニケーションノートがおいてある(**)。

 さて。当たり前だがこの空間には『かんなぎ』や武梨えりを好きな人しかいない。大阪から来たと書いている人が4~5人はいたし、仙台から来た人も2~3人いた気がする。一人、沖縄から来たと豪語していたが。

 JKです。中学生です。とか書いている人もいた。で、漫画家志望です!とか書いてあって、横にがんばってるけど下手な絵が描いてあったりする。クラスで、『かんなぎ』を広めようとしているんだけど、周りの人たちはあまり耳を傾けません…というJKだかJCの意見。

 で、会場の横には同時に武梨えり(小学生)が描いた下手なマンガが置いてあったりする。漫画家志望の彼女たちはすごく勇気付けられたんじゃないだろうか。

 作品。というのは人に影響を与えることができるという当たり前のことに気付かされた。少なくとも、日本中から東京に集まってくる程度には。子供達にペンを取らせようと決意する程度には。こうやって、「マンガ」は脈々とつながっていく、のかもしれない。

 今、武梨えりさんは病気療養中という事で、そういった類のコメントが多く寄せられる事になる。しかし、「好きに書いてくれればいい」だとか、「いつまでも待っている」だとか、「このままで終わるのは嫌だ。」とか。誰に示し合わせたわけでもなく同じ文面を必死に考えて送ってしまうおれ「達」がたくさんいて苦笑いをしてしまう。

 これが、「作品」の力なのだ。と思った。

 一つの作品を語るとき、物語の内容を語るような語り口は多い。もしくは、物語の環境を語ったりだとか、物語の法則だったりキャラの法則だったりといったる語り口をとってしまう。だけれども、そういう語り口は、こういった「作品」の力を語っているとはいえない。
 すごく素朴な話だけれども、商業的に本を出版してアニメ化をするという事は、日本全国津々浦々に万人単位で読者を手にする事だ。そういった薄い拡がりの中には、それこそ自分の人生を「作品」の力によって変えられてしまう人もいるだろう。確率論的にそういう強い影響を受けてしまうひとは出てくる。だからこそ、「規模」の力は大事だ。同人と商業の差異は物語内容にあるわけではなくて、対象となる範囲や「規模」の違いが大きいように思う(環境制約として「資本」の有無はあるとは思うけれど)。
 よく、マンガ家が、ファンレターが励みになるとか書いてるけど、こりゃやる気が出るわ。「作品」の「意味」そのものじゃないか。そんなことを感じた。

 ネットやリアルに限らずそれこそいたるべきところでこういったコミュニケーションは行われているのだろう。
 偶然、武梨えりの展覧会で発見して舞い上がってしまった、という話。
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 カラオケ回だけで、一話。
 そういう思い切りの良さが、山本寛っぽい。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』にはまったきっかけ、山本寛という人を意識せざるを得なかったきっかけが、放送1話「朝比奈ミクルの冒険」だった。ここでは、最初から最後までハルヒ達が文化祭用に撮った学生映画が流れる。その学生映画を再現する為に、逆光・手ぶれ・矛盾のある演出まで、考えられる技巧が凝らしてある。そして、大事なのは「朝比奈ミクルの冒険」がDVDの特典映像ではなくて、放送の1話目で流れたという事だ。私を含めて、初めてテレビアニメでハルヒを知った人の驚きやいかん。これは劇中劇なのだと途中で気がついた時の感激やいかん。なのである。

 こういう視聴者への挑戦とも信頼とも取れるシリーズの構成をしてくるあたりに同じ匂いを感じる。

 アニメオリジナル回だと誤解している人も多いのだが、原作にあるカラオケ回を膨らませたもの(3巻に収録)。

 まんがでカラオケを歌うという回を描く武梨えりも武梨えりだが、それを受けて、神前暁に作・編曲して歌わせる山本寛も山本寛だ。
 ざんげちゃんはアニメオリジナル楽曲であるが、それ以外の楽曲は、原作ではサビだけ歌っている曲にそれらしく作曲をして、前後の部分も補完したものである。それぞれの曲の作詞は武梨えりとはなっていないが、曲の方向性/コンセプターはいうまでもなく武梨えりのものである。

 余談だが、作詞/作曲 武梨えりである所の『ハロー大豆』がプチブーム中。こんな動画なぞ。

 さて、今回はアニメ版かんなぎの収穫ともいえるエピソードだった。
 カラオケの隣に座って欲しくて微妙な仕草をする「つぐみ」、ざんげと目線でやりとりをしてちょっと怒る。それだけで可愛いのだ。

 カットをテンポよく積み重ねる事で、説明過剰にならずさらっと状況を表現している。
 以下に見てみよう。

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この第十一幕から最終回の第十三幕までは、ナギと仁を中心に物語が進む。

ナギと仁が喧嘩をする。

問題の種となるのは、『ナギ』とは何者なのかということだ。
ナギは悩み、仁はそんなナギを受け入れようとする。

第十一幕では、「オオヌサ」を象徴的に使っている。

 オオヌサはボロボロになってしまっている。パワーアップしたいというナギだが、余計な出費をしたくない仁は軽く拒否する。しかし、仁はそのボロボロになったオオヌサに、今までナギと過ごして来た時間を思い出す。仁は、ナギが風呂に入っている間に、オオヌサを修理する(おそらく半紙を張り替えたり、汚れた箇所を拭き取ったり……)。

Kannagi11-1

 ナギは風呂上がりに修理されたオオヌサを見つける。そして、ナギは皿を洗っている仁の所に行く。「三千円くらいまでなら」と譲歩する仁を遮って、「これでいい」と言うナギ。そして、「明日からこれでばりばり祓う!仁も頼むぞ!」と言うのだが、その表情はなんともいえず、嬉しそうである。

Kannagi11-2

 しかし、その翌日に二人は衝突してしまう。仁は、「ナギ」とは何者か、という地雷を踏んでしまう。ナギは一人学校の屋上で思い悩む。そして、雨の中、ナギは二人の絆であるオオヌサを置いて独り立ち去る。

Kannagi11-3

 オオヌサを巡る絆の確認のエピソード、はアニメオリジナルである(まんが版は自転車置き場に落下する仁から始まる)。二人の絆の再確認、そしていつもの喧嘩とは違う不吉さを表すのにオオヌサは効果的に使われていた。

 けれど、25分足らずの物語の冒頭に仁とナギが絆を再確認するシーンを描き、視聴者にその記憶が新しい中で二人が喧嘩、しかも決定低的な喧嘩をしてしまうエピソードを入れるのはちょっと無理がある。視聴者の感情の流れがつい逆流してしまうのだ。結果として、ナギと喧嘩をするシークエンスが少し急すぎる印象を持ったし、その展開に感情移入がしずらくなっている。

#二人の「喧嘩」の直前に美少女ゲーム風イラストをバックに貴子が「スクールデイズ」とかいったりする。こ
れも感情の流れがストップしてしまうので、個人的にはちょっと疑問だった。

Kannagi11-5

 さて、本題である、仁とナギの喧嘩のシーンである。

 喧嘩のシーンでは、アニメ版と原作版との間で少しセリフが異なっている。この小さな変更点が、喧嘩の意図を大きく変えてしまっている。結論を先にいえば、原作ではナギが問題の中心にいるのに対して、アニメでは仁が問題の中心にいる。
 端的にいえば、原作版ではナギが怒るのに対して、アニメ版では仁が怒るのである。

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誹謗中傷説をようやく否定。

 二年後あたりにこのページをみた人はなんのことだと思うかもしれないけど、今の『かんなぎ』を取り巻く空気はこういうスキャンダルやネタで食いついてくる人が多くて、作品があんまり語られないのがちょっと残念な感じなのだ。

 ニコニコのコメントを見ていてもなんだか目を覆いたくなるものが多い。で、これでちょっとは沈静化の方に動いてくれたらと思うと嬉しいのだが、ちょっと気になる単語がニュースリリースに。

「突然急病で倒れられ、そのまま緊急入院 となり休載のやむなきに至りました。その後手術も成功」

ってこれ、武梨えり、かなりヤバい状態だったんじゃないか?
今に至っても、連載の復旧予定を明言できない程度の手術/入院。
「執筆の再開に向けて意欲」ってくらいだから、致命的な事にはなってないんだろうけど…。

私たちは、今までに「消えたマンガ家」という人をたくさん知っています。武梨さんにはそうなってほしくない。希有なセンスと、巧みな構成力を持った人なので何か読みたいというのもあるけれど、ずっとマンガを描くことを好きでいて欲しいと思っております。

なので、今は心身共にリフレッシュして頂けたらと、切に。

【08.12.12】『かんなぎ』休載につきまして

『かんなぎ』の休載につきまして読者のみなさまにご心配をおかけいたしております。
武梨先生はREX12月号の原稿執筆後に突然急病で倒れられ、そのまま緊急入院 となり休載のやむなきに至りました。その後手術も成功し、現在は順調に快方 に向かっています。
「ComicREX」1月号の発売以降、「武梨えり先生が誹謗中傷によって休載した」という報道が一部でなされましたが、これは事実ではありません。
武梨先生は現在も入院中でありますが、執筆の再開に向けて意欲を示しておいでです。

読者のみなさまには、武梨先生のご快癒をお待ちいただけますようお願いいたします。
株式会社一迅社
「ComicREX」編集長
杉野庸介

ソース
何が向こう側で起こっているのかはわからない。

ただ、ネットでは一連のアンチかんなぎの流れに位置づけて解釈されている。

たとえば、こんなブログ。
か ん な ぎ 連 載 休 止 決 定 ・゚・(つД`)・゚・

全然、的外れな可能性だってある。
けれど、そうなのだとしたら、最悪だ。最悪だとしか言えない。

『ゼロ年代の想像力』を思い出した。自分にだけ通じる小さな正義を振りかざす。その結果、ちょっとでもその正義に外れたものを排除する。そうする事でその小さな正義を維持しようとする。バトルロワイヤル的な状況と著者はいっていたが、まさにそれだ。

まんがが自分達の勝手な正義に反する展開をしたとして、その本をびりびりにやぶくというパフォーマンスをするか?作者に礼儀を欠いたメールを送ろうと掲示板であおったりするか?

そういう人たちは、自分達の正義が好きなんで、『かんなぎ』が好きなわけじゃない。
けれど、そんな人たちに『かんなぎ』という作品を、武梨えりという作家をつぶされては困るんだ。

ネットでは声の大きい人があたかも主流派であるかのように見えてしまう。
批判の方が言いやすいし。けど、実は違うだろう。普通に、『かんなぎ』の展開がどうなるかをwktkしながら待ってる人の方が多いはずだ。
作者の元には、批判メールがコピペで大量におくられているかもしれないけれども。

だから、おれはかんなぎについて、ここで、いかに好きか、何故面白いのかをしばらく語りつづけたい。

今回の物語は「つぐみ×仁」を中心に動く
 つぐみの中でのこれまで蓄積された「もやもや」が解消する回。

 メイド喫茶での決定的な敗北を感じたつぐみ。
 けれども、
 「私は仁が怒ってたらその理由がわかるし
  泣いてたって笑ってたってわかるよ
  だから怖いとかも思ったことないし
  仁は仁だよ
  だから安心して笑ったり泣いたりしていいんだよ」
 と、仁に向かって言える強さをつぐみは再確認する。

 そのきっかけをあたえる色々な会話がある。直接のきっかけは「ざんげ」との会話で、つぐみは「ざんげ」から仁を守らなければいけないと決意する。この回のクライマックスは橋の上で決意するつぐみであり、それを仁に伝えるつぐみである。そのきっかけとなる「ざんげ」との会話だけれど、セリフとしてはマンガ版と同じである。しかし、そこに間をいれたり、つぐみのリアクションを実に丁寧に捕捉したりすることで、なんともいえないふくらみが出てきている。

 橋はドラマが起こる場所である。
 つぐみは、一人、雨の中を、過去を振り返りながら進む。
 そして、決意をする。
 ここのセリフの切り出し方、演出、すべてがマッチしている。

 「仁がざんげちゃんとつきあう
  まわりの誤解を説く為に
  でもあの人、なんだか仁をもてあそんでる感じにしか
  (じゃあ、あなたがつきあう?)
  そんなの一番ありえない!
  だって、仁だよ!
  ずっと一緒で、ままごととかもしてたんだから。
  そんな対象になるわけないじゃない。
  なんでみんなそういう目でみるのよ
  おじさまにもたのまれたのに。
  そうだ。私が守らなきゃ。
  ざんげちゃんに話してる場合じゃないよね。
  ほんと、わたしがなんとかしなきゃ。

 決めのBGMも流れるし、つぐみの「決意」が原作以上に強調されている。

Kannagi9-2

 ここで、オママン原作の劇中劇が始まる(仁がつけっぱなしにしているテレビ)。
 「地震中継」を挟んでくるのは、なんとも小憎らしい。
 ドラマを最高潮に持ち上げておいて、そこで素直に落とさない。この間の置き方、照れ隠しともカオスともいうこの感覚が『かんなぎ』だろう。

 そもそも、つぐみが「守りたい!」と決意するきっかけは「ホモカップル事件」というどう考えても間が抜けているものなのだ。仁のつぐみのセリフと、つぐみから仁のセリフがそもそもつりあわないように設計されている。

 仁の風呂をのぞいてしまうつぐみ。

⇒ 続きを読む

作画監督は第三幕「スクールの女神」とかぶる。

脚本:本田透
絵コンテ・演出:ひいろゆきな
作画監督:河合拓也 亀谷響子
作画監督補佐:後藤孝宏
制作:A-1 Pictures

 今回の脚本が本田透氏、次回の脚本が高橋龍也氏となっている。
 倉田氏の脚本にしては珍しく、ゲスト脚本家が二人迎えられているという形になっている。

 第八幕「迷走嵐が丘」と次回の第九幕「恥ずかしい学園コメディ」は二話でひとまとまりになる。ゲスト脚本家同士がバトンを渡し、第八幕でばらまかれた伏線を、第九幕で回収する。という構成である。

 高橋龍也氏といえば、代表作は『雫』『痕』『To heart』と、ビジュアルノベル/ノベルゲームにある種のモードを作り出した張本人である。PCゲームに限らず、小説やマンガに至るまで雨後のタケノコのように様々な亜種が生まれたが、オリジナルに近い人である(*)。

(*)という認識をしているのですが、ちょっとおかしくねという人はコメントなどいただければ幸いです。

 で、本田透氏といえば、『電波男』が有名である。いうまでもなく、「ある種のモード」を象徴する人物であろう。『電波男』は『電車男』に対するメッセージである。すなわち、『電車男』ではオタク男子がエルメスという普通の女性に恋をし、2ちゃんねるの住民の力を借りて脱オタクをし結ばれるというストーリーである。オタクにとっての理想の物語というように解釈されるが、果たしてそうであろうか。
 本田透は、「脱オタク」を何故しなければならないのか?という問題提起をしたのである。オタクは脳内の彼女と共にオタクとして生きれば良いのではないか、と「電波」と自嘲しながら、同時にそれ以外ありえないという切迫を持って主張をした。
 そういった「思想」は「ある種のモード」を代表している。

 では、『かんなぎ』である。
 今回の第八幕に関しては、おはなしにケリをつける/伏線を回収する/風呂敷をたたむという事を意識せず、開けられる引き出しは全部開けました!というような印象が強い。ストーリーの根幹としては、ナギの別人格の顕現とその後のナギであるとか重要な部分も描かれたわけだけど、水と油のような気がしないでも無い。
 小ネタはいっぱい散らばっている。大鉄×仁なんぞ考える人にとっては今回はどうしても参照しなければならない回になるはず(あとは、原作の中学校時代のエピソードとかはマストだろうか)。

 本田透「らしさ」といえば、「過剰な妄想/電波にふける大鉄」、『電波男』でも展開されたモテ/非モテを中心にしたピラミッド構造を妄想する大鉄など。大鉄=本田透というような見立てでもって、暴走していた。

 おそらくは、賛否両論であると思う。
 大鉄をあそこまでいじってしまうと、原作原理主義者的な視点からいえばきついだろう。
 とはいえ、二次創作としてはありだとも思う。武梨えりも『かんなぎ』を二次創作的につくっている所もあるわけだし…と考えると微妙な所である。

 ただし、今回の評価は、次回の第九幕「恥ずかしい学園コメディ」と合わせて考えるべきだろう。
 大鉄と仁とナギという奇妙な三角関係を過剰に妄想気味に作られたのが今回であると思う。

 次回、そういった三角関係を「恥ずかしい学園コメディ」がどのように風呂敷をたたんでくれるのか。それによって、第八幕の位置づけが定まるように思う。
 自己言及タイトルが少し気になるけれど…。



と、今回ちょっと披露気味なので取り急ぎ。
深夜に余裕があったらもう一回更新するやも。

オリジナル回なのでもしやと期待していたが、山本寛絵コンテ回。

しかし、冒頭の数カットが、徹底的に動かない。

Kannagi-7-1

Kannagi-7-2

Kannagi-7-3

Kannagi-7-4

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今日は時間があるので、丁寧に語ってみたいと思います。

序。
 印象に残ったシーンは二つある。
 一つ目は、つぐみが仲間達が居なくなったメイド喫茶の中で一人片付けをしている所、
 二つ目は、ナギが夕日の中、仁に嫌われているのではないかと不安になって話しかける所だ(*)。

Kannagi6-1Kannagi6-2Kannagi6-3

Kannagi6-4Kannagi6-5Kannagi6-6

 つぐみもナギも仁にちがった種類の「片思い」をしている。ちょっとしたすれ違い。そのちょっとしたすれ違いが持っている痛みがそのシーンには現れている。恋をしたら誰しもが感じる様な痛み。「片思い」をしている相手が、自分の事を好いてくれているのではないかという期待と、自分のことなぞはどうでもいいと思っているのではないかという不安。その関係性が、確定しないから生まれる痛み。

 『かんなぎ』という物語、一見、仁を中心としたハーレムものに見える。しかし、ここでは仁を媒介として、つぐみやナギという女の子の心情を描いているのである。
 武梨えりの特異性は、乙女ちっくな感性と繊細さをオタちっくな表層とネタ化で包み込んでしまうことにあるのではないか(**)。アニメ版では原作にあったこの要素を映像の力で、強調している。

 だからこそ、男の子の願望としての女の子ではなく、対象としての女の子を描けているのではないか。だからこそ、『かんなぎ』は生っぽいのではないか。

(*)このエントリではこのシーンに向けての伏線を拾う予定だが、このシーンを単体でとっても非常に繊細にできている。
1カット目。つぐみが片付けをしている時のテーブルのリアルな汚さ。そこにはメイド喫茶というファンタジーではなくて、ウエイトレスのアルバイトという当たり前の日常が広がっている。
2カット目。そして、つぐみの物思いにふける顔が映し出される。そこで一瞬動きが止まる。この一瞬の静止によって視聴者につぐみの感情が叩き込まれる。
3カット目。一人取り残されるつぐみ。今までの狂騒と対比的に、つぐみは一人取り残される。彼女はこの状況の風景に過ぎず、それが彼女の切なさを表してもいる。

(**)那須きのこが王道の物語を、様々なギミックで煙に巻くのに似ているかもしれない。那須きのこと武梨えりは、この照れくささの系譜で結ばれている。山本寛が演出の参照軸として80年代ドラマを持ち込んだのは、この照れくささをはがそうとする演出家の豪腕なのかもしれない。

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冒頭の料理対決から始まって、翌朝の学校での一騒動。ナギ様ファンクラブというのがひそかにつくられていて、それが学校側にばれてしまって……。

 ナギ様ファンクラブを知った時に嫉妬する仁だったり、おひたしとほうれん草を作るつぐみだったり、学校でチヤホヤされて嬉しそうなナギだったり、白亜父に質問されて「学校に来る事には意味がある」と断言するナギだったり、姉妹喧嘩をするざんげだったり、まじめっ娘な白亜だったり、一つ一つの行動に今までのおはなしでの彼らの行動や思いが反映されていて、嬉しい。

 マンガを何年か前に読んで、何回か読み返して、アニメを見て、マンガを読み返して、アニメをもう一回みたりする。そうやって作られて来た頭の中にある『かんなぎ』要素が反応する。
 例えば、冒頭の料理対決で、ざんげに抗う白亜が描かれるけれど、これは原作五巻(白亜メイン巻)を知ってから見ると味わい倍増である。仁と白亜にも少しばかりの縁があって、あのシーンは仁×白亜×ざんげという奇妙な三角関係を、ざんげ一人で立ち回っているという二周目だとわかる面白さがある(別に、時系列順に物語が進む訳じゃないので、5巻のネタが2巻のネタの伏線になることもある)。

 ナギ様ファンクラブの掲示板での書き込みとして、山本寛と倉田英之が登場。山本寛はもはや定番の「監督の域」ネタ、倉田英之は女は紙とJPGに限るというこれも定番ネタ。

 サプライズで、ぱにぽに風のアイキャッチで、武梨えり(声の出演:武梨えり)でついに登場。「かんなぎ。」とつぶやいておられました。予告も武梨えりで、「次回もみてね☆」と言ってました(どうせなら、「おやすみなさい。おにいさま」とか言ってほしかったような…)。

 山本&倉田&武梨が出演して嬉しいと、武梨えりの生声が聞けて嬉しいと。これは、狭い狭い領域であると思う。アニメを見ている人も狭い領域なら、その中で、山本&倉田&武梨も知らない人の方が多いんではないだろうか。けど、その狭い三角形の内側にいる者にしてみれば幸せな一時を過ごせた。

 きっかけは『ハルヒ』であって『かんなぎ』であった。それで作家を追いかけて、『かんなぎ』をきっかけに『かみちゅ』『バンブーブレード』『大運動会』と倉田脚本を読んだり、『倉本』を買ったりして。元ネタが大体わかる感じ。アニメを通してコミュニケーションが成立しているんだなあという感覚。
 結構、タフなファンサービスだと思うんである。

 次回は、つぐみとナギがブラを買いに行くという原作必至の展開で…。

スタッフ
絵コンテ:平池芳正
演出:山内東生雄
作画監督:浦和文子、吉田優子
制作協力:遊歩堂

絵コンテの平池芳正さんについては前回を参照のこと。
演出の山内東生雄さんは、『西洋骨董洋菓子店』#10(「鼓動の異味」)や『なるたる』#12(「わたしの目は被害者の目 わたしの手は加害者の手」)、『ゼロの使い魔』#7(「ルイズのアルバイト」)の演出。
作画監督の浦和文子さん、吉田優子さんはマジカノ#10(「呪いの猫パンツってマジですか?」)でも同じコンビで仕事をしている。こちらも、制作協力が遊歩堂なので、遊歩堂の中の人であろう(遊歩堂のwikipediaはこちら。
制作元請けが主の会社のようで、絵コンテの平池芳正が監督をした『スケッチブック』でも制作元請をしている。そのつながりだろうか。

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