戯言と作品レビューや分析のブログとその時の思いつき。

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今回の物語は「つぐみ×仁」を中心に動く
 つぐみの中でのこれまで蓄積された「もやもや」が解消する回。

 メイド喫茶での決定的な敗北を感じたつぐみ。
 けれども、
 「私は仁が怒ってたらその理由がわかるし
  泣いてたって笑ってたってわかるよ
  だから怖いとかも思ったことないし
  仁は仁だよ
  だから安心して笑ったり泣いたりしていいんだよ」
 と、仁に向かって言える強さをつぐみは再確認する。

 そのきっかけをあたえる色々な会話がある。直接のきっかけは「ざんげ」との会話で、つぐみは「ざんげ」から仁を守らなければいけないと決意する。この回のクライマックスは橋の上で決意するつぐみであり、それを仁に伝えるつぐみである。そのきっかけとなる「ざんげ」との会話だけれど、セリフとしてはマンガ版と同じである。しかし、そこに間をいれたり、つぐみのリアクションを実に丁寧に捕捉したりすることで、なんともいえないふくらみが出てきている。

 橋はドラマが起こる場所である。
 つぐみは、一人、雨の中を、過去を振り返りながら進む。
 そして、決意をする。
 ここのセリフの切り出し方、演出、すべてがマッチしている。

 「仁がざんげちゃんとつきあう
  まわりの誤解を説く為に
  でもあの人、なんだか仁をもてあそんでる感じにしか
  (じゃあ、あなたがつきあう?)
  そんなの一番ありえない!
  だって、仁だよ!
  ずっと一緒で、ままごととかもしてたんだから。
  そんな対象になるわけないじゃない。
  なんでみんなそういう目でみるのよ
  おじさまにもたのまれたのに。
  そうだ。私が守らなきゃ。
  ざんげちゃんに話してる場合じゃないよね。
  ほんと、わたしがなんとかしなきゃ。

 決めのBGMも流れるし、つぐみの「決意」が原作以上に強調されている。

Kannagi9-2

 ここで、オママン原作の劇中劇が始まる(仁がつけっぱなしにしているテレビ)。
 「地震中継」を挟んでくるのは、なんとも小憎らしい。
 ドラマを最高潮に持ち上げておいて、そこで素直に落とさない。この間の置き方、照れ隠しともカオスともいうこの感覚が『かんなぎ』だろう。

 そもそも、つぐみが「守りたい!」と決意するきっかけは「ホモカップル事件」というどう考えても間が抜けているものなのだ。仁のつぐみのセリフと、つぐみから仁のセリフがそもそもつりあわないように設計されている。

 仁の風呂をのぞいてしまうつぐみ。

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作画監督は第三幕「スクールの女神」とかぶる。

脚本:本田透
絵コンテ・演出:ひいろゆきな
作画監督:河合拓也 亀谷響子
作画監督補佐:後藤孝宏
制作:A-1 Pictures

 今回の脚本が本田透氏、次回の脚本が高橋龍也氏となっている。
 倉田氏の脚本にしては珍しく、ゲスト脚本家が二人迎えられているという形になっている。

 第八幕「迷走嵐が丘」と次回の第九幕「恥ずかしい学園コメディ」は二話でひとまとまりになる。ゲスト脚本家同士がバトンを渡し、第八幕でばらまかれた伏線を、第九幕で回収する。という構成である。

 高橋龍也氏といえば、代表作は『雫』『痕』『To heart』と、ビジュアルノベル/ノベルゲームにある種のモードを作り出した張本人である。PCゲームに限らず、小説やマンガに至るまで雨後のタケノコのように様々な亜種が生まれたが、オリジナルに近い人である(*)。

(*)という認識をしているのですが、ちょっとおかしくねという人はコメントなどいただければ幸いです。

 で、本田透氏といえば、『電波男』が有名である。いうまでもなく、「ある種のモード」を象徴する人物であろう。『電波男』は『電車男』に対するメッセージである。すなわち、『電車男』ではオタク男子がエルメスという普通の女性に恋をし、2ちゃんねるの住民の力を借りて脱オタクをし結ばれるというストーリーである。オタクにとっての理想の物語というように解釈されるが、果たしてそうであろうか。
 本田透は、「脱オタク」を何故しなければならないのか?という問題提起をしたのである。オタクは脳内の彼女と共にオタクとして生きれば良いのではないか、と「電波」と自嘲しながら、同時にそれ以外ありえないという切迫を持って主張をした。
 そういった「思想」は「ある種のモード」を代表している。

 では、『かんなぎ』である。
 今回の第八幕に関しては、おはなしにケリをつける/伏線を回収する/風呂敷をたたむという事を意識せず、開けられる引き出しは全部開けました!というような印象が強い。ストーリーの根幹としては、ナギの別人格の顕現とその後のナギであるとか重要な部分も描かれたわけだけど、水と油のような気がしないでも無い。
 小ネタはいっぱい散らばっている。大鉄×仁なんぞ考える人にとっては今回はどうしても参照しなければならない回になるはず(あとは、原作の中学校時代のエピソードとかはマストだろうか)。

 本田透「らしさ」といえば、「過剰な妄想/電波にふける大鉄」、『電波男』でも展開されたモテ/非モテを中心にしたピラミッド構造を妄想する大鉄など。大鉄=本田透というような見立てでもって、暴走していた。

 おそらくは、賛否両論であると思う。
 大鉄をあそこまでいじってしまうと、原作原理主義者的な視点からいえばきついだろう。
 とはいえ、二次創作としてはありだとも思う。武梨えりも『かんなぎ』を二次創作的につくっている所もあるわけだし…と考えると微妙な所である。

 ただし、今回の評価は、次回の第九幕「恥ずかしい学園コメディ」と合わせて考えるべきだろう。
 大鉄と仁とナギという奇妙な三角関係を過剰に妄想気味に作られたのが今回であると思う。

 次回、そういった三角関係を「恥ずかしい学園コメディ」がどのように風呂敷をたたんでくれるのか。それによって、第八幕の位置づけが定まるように思う。
 自己言及タイトルが少し気になるけれど…。



と、今回ちょっと披露気味なので取り急ぎ。
深夜に余裕があったらもう一回更新するやも。

オリジナル回なのでもしやと期待していたが、山本寛絵コンテ回。

しかし、冒頭の数カットが、徹底的に動かない。

Kannagi-7-1

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Kannagi-7-4

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今日は時間があるので、丁寧に語ってみたいと思います。

序。
 印象に残ったシーンは二つある。
 一つ目は、つぐみが仲間達が居なくなったメイド喫茶の中で一人片付けをしている所、
 二つ目は、ナギが夕日の中、仁に嫌われているのではないかと不安になって話しかける所だ(*)。

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 つぐみもナギも仁にちがった種類の「片思い」をしている。ちょっとしたすれ違い。そのちょっとしたすれ違いが持っている痛みがそのシーンには現れている。恋をしたら誰しもが感じる様な痛み。「片思い」をしている相手が、自分の事を好いてくれているのではないかという期待と、自分のことなぞはどうでもいいと思っているのではないかという不安。その関係性が、確定しないから生まれる痛み。

 『かんなぎ』という物語、一見、仁を中心としたハーレムものに見える。しかし、ここでは仁を媒介として、つぐみやナギという女の子の心情を描いているのである。
 武梨えりの特異性は、乙女ちっくな感性と繊細さをオタちっくな表層とネタ化で包み込んでしまうことにあるのではないか(**)。アニメ版では原作にあったこの要素を映像の力で、強調している。

 だからこそ、男の子の願望としての女の子ではなく、対象としての女の子を描けているのではないか。だからこそ、『かんなぎ』は生っぽいのではないか。

(*)このエントリではこのシーンに向けての伏線を拾う予定だが、このシーンを単体でとっても非常に繊細にできている。
1カット目。つぐみが片付けをしている時のテーブルのリアルな汚さ。そこにはメイド喫茶というファンタジーではなくて、ウエイトレスのアルバイトという当たり前の日常が広がっている。
2カット目。そして、つぐみの物思いにふける顔が映し出される。そこで一瞬動きが止まる。この一瞬の静止によって視聴者につぐみの感情が叩き込まれる。
3カット目。一人取り残されるつぐみ。今までの狂騒と対比的に、つぐみは一人取り残される。彼女はこの状況の風景に過ぎず、それが彼女の切なさを表してもいる。

(**)那須きのこが王道の物語を、様々なギミックで煙に巻くのに似ているかもしれない。那須きのこと武梨えりは、この照れくささの系譜で結ばれている。山本寛が演出の参照軸として80年代ドラマを持ち込んだのは、この照れくささをはがそうとする演出家の豪腕なのかもしれない。

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冒頭の料理対決から始まって、翌朝の学校での一騒動。ナギ様ファンクラブというのがひそかにつくられていて、それが学校側にばれてしまって……。

 ナギ様ファンクラブを知った時に嫉妬する仁だったり、おひたしとほうれん草を作るつぐみだったり、学校でチヤホヤされて嬉しそうなナギだったり、白亜父に質問されて「学校に来る事には意味がある」と断言するナギだったり、姉妹喧嘩をするざんげだったり、まじめっ娘な白亜だったり、一つ一つの行動に今までのおはなしでの彼らの行動や思いが反映されていて、嬉しい。

 マンガを何年か前に読んで、何回か読み返して、アニメを見て、マンガを読み返して、アニメをもう一回みたりする。そうやって作られて来た頭の中にある『かんなぎ』要素が反応する。
 例えば、冒頭の料理対決で、ざんげに抗う白亜が描かれるけれど、これは原作五巻(白亜メイン巻)を知ってから見ると味わい倍増である。仁と白亜にも少しばかりの縁があって、あのシーンは仁×白亜×ざんげという奇妙な三角関係を、ざんげ一人で立ち回っているという二周目だとわかる面白さがある(別に、時系列順に物語が進む訳じゃないので、5巻のネタが2巻のネタの伏線になることもある)。

 ナギ様ファンクラブの掲示板での書き込みとして、山本寛と倉田英之が登場。山本寛はもはや定番の「監督の域」ネタ、倉田英之は女は紙とJPGに限るというこれも定番ネタ。

 サプライズで、ぱにぽに風のアイキャッチで、武梨えり(声の出演:武梨えり)でついに登場。「かんなぎ。」とつぶやいておられました。予告も武梨えりで、「次回もみてね☆」と言ってました(どうせなら、「おやすみなさい。おにいさま」とか言ってほしかったような…)。

 山本&倉田&武梨が出演して嬉しいと、武梨えりの生声が聞けて嬉しいと。これは、狭い狭い領域であると思う。アニメを見ている人も狭い領域なら、その中で、山本&倉田&武梨も知らない人の方が多いんではないだろうか。けど、その狭い三角形の内側にいる者にしてみれば幸せな一時を過ごせた。

 きっかけは『ハルヒ』であって『かんなぎ』であった。それで作家を追いかけて、『かんなぎ』をきっかけに『かみちゅ』『バンブーブレード』『大運動会』と倉田脚本を読んだり、『倉本』を買ったりして。元ネタが大体わかる感じ。アニメを通してコミュニケーションが成立しているんだなあという感覚。
 結構、タフなファンサービスだと思うんである。

 次回は、つぐみとナギがブラを買いに行くという原作必至の展開で…。

スタッフ
絵コンテ:平池芳正
演出:山内東生雄
作画監督:浦和文子、吉田優子
制作協力:遊歩堂

絵コンテの平池芳正さんについては前回を参照のこと。
演出の山内東生雄さんは、『西洋骨董洋菓子店』#10(「鼓動の異味」)や『なるたる』#12(「わたしの目は被害者の目 わたしの手は加害者の手」)、『ゼロの使い魔』#7(「ルイズのアルバイト」)の演出。
作画監督の浦和文子さん、吉田優子さんはマジカノ#10(「呪いの猫パンツってマジですか?」)でも同じコンビで仕事をしている。こちらも、制作協力が遊歩堂なので、遊歩堂の中の人であろう(遊歩堂のwikipediaはこちら。
制作元請けが主の会社のようで、絵コンテの平池芳正が監督をした『スケッチブック』でも制作元請をしている。そのつながりだろうか。

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