戯言と作品レビューや分析のブログとその時の思いつき。

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ネットのどこかで『かんなぎ』は『とらドラ!』と比べてラブコメとしての品質が悪いと宇野常寛がサイゾーに書いてあったと聞いたんだけど、実際にサイゾーの記事を読むとこれは完全に誤り情報。勝手な読み方しすぎです。二次情報・三次情報が独り歩きするのが嫌なので、以下に該当箇所を載せておきます。

更科修一郎と宇野常寛が2008年の作品を小説/ドラマ/映画/アニメなどのジャンル毎に褒めたり貶したりするという企画の中での一幕。

更科(中略)『とらドラ!』(テレビ東京)もストーリー的にはまったく共感できない学園ラブコメだけど、実写映画・テレビドラマ調のメリハリの利いた演出だけで十分見られる。もともと、元京都アニメーションの山本寛が得意とする方向性なんだけど、これと比べると、ヤマカンの初監督『かんなぎ』(東京MXなど)はちょっと苦しい。

宇野 ヤマカンの実写映画・ドラマ好きとオタマッチョ全開の脚本の相性がもう、悪いこと(笑)。

更科 それもあるけど、ウェルメイド志向の京アニでは抑えられていた自意識が解放されて、逆に娯楽作品としてのバランス感覚を崩したような気もする。全体としては高いクオリティなんだけど、なぜか観ていてつらい。
「サブカルチャー最終審判 #9」p.110『サイゾー2009/2号』


 これ、あくまでも『とらドラ!』とは映像演出面で比較されているわけだし、喋っているのは更科さんだし。

 ネット上での噂話は怖い!という話でした。
 両氏にゆるゆると応答してみたものは、以下に書いたのでどうぞ。

#サイゾーっていえば、ジャージ女の子じゃなかったっけ?あとは、山形浩生の巻末コラム。そんな時代の読者でした。
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第十三幕考察の後半です。

色彩の変化
 第十三幕、仁はナギに対する煮え切らない気持ちをふっきる。
 仁の気持ちを反映させるかのように、映像の色彩は移り変わる。空模様は、雨から曇りになりやがて晴間が覗くようになる。それに合わせて、画面を覆っていた灰色の光が取り除かれる。アニメーションで偶然映ってしまったものはおそらく存在していない。

Kannagi13-21
冒頭。ガラスが雨の湿度の高さで曇っている。

Kannagi13-13-1

授業中。曇り空の下、力なく走っている。

Kannagi13-14-1

放課後。つぐみと仁。青空と曇空が半分。

 つぐみに肩を押され、仁は悩みをふっきって自転車でナギの元へと向かう。
 自転車にまたがった仁を描く一連のカットでは、画面が仁と鮮やかな青空だけでレイアウトされている。前回あった白亜父との回想シーンがインサートされるが(そんな得体の知らないものと暮らしていて云々)が、このカットは鮮やかな青色とは対比的にモノクロになっている。また、口を結んだ仁の表情が、自信に満ちた表情になっているという対比も指摘できるだろう。

 そして、突き抜ける様な青空の中、仁は「だって楽しかったんだ」という言葉を宣言する。

 灰色からの解放と、仁の想いの解放。
 アニメーションで偶然映ってしまったものはおそらく存在していない。ゆえに、画面には仁と青空しか写っていない。下に引用した最後のカットは、ほとんど青空がメインといってもいいレイアウトになっている。そして、仁は鮮やかな緑色の中でナギと再会する。

 仁が決意をした段階で物語を支えるベクトルは定まってしまったように思う。ここまでお膳立てされた状況下で、ナギと会えば抱きしめる以外の選択肢はありえないのである。以下に一連のカットを並べてみたけれど、それだけで一目瞭然ではないか。

Kannagi13-15-1Kannagi13-16-1
Kannagi13-17-1Kannagi13-18-1
Kannagi13-19-1

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前回の更新からかなり間が空いてしまいました。
放送に合わせて更新してきたので、イレギュラーになってしまい申し訳ないです。
が、『かんなぎ』最終話の考察をお送りします。
まずは前半。

*

つぐみの視線
 第十三幕から一つカットを選べと言われたら、このカットしかない。

Kannagi13-1

 仁とナギが手を繋いだシーンの後、掲示板の書き込みが画面に写っているカットだ。
 「ナギ様、仁君と一緒にいたね。」
 「手つないでたよ♪」
 といった、他愛の無い会話がなされている。

 表面的にはナギと仁の様子を実況している掲示板だが、それ自体にはあまり意味が無い。この書き込みを見ているのは、つぐみなのだ。第十三幕を通して、掲示板の書き込みを見ているのはつぐみしかいない。
 1秒にも満たない、瞬きをすれば終わってしまうカットだ。ストーリーはすぐに仁とナギにフォーカスされる。しかし、つぐみの心情や姿は我々の脳裏に焼き付く。

 クレショフ効果だとかモンタージュだとかいう言葉がある。無表情な男性のカットに続けて料理のカットを繋げた映像を見ると、空腹な男性という印象が得られるというアレである。映像と映像が化学反応を起こして、全く新しい内容が生まれる、映像が映像である理由。

 映像/アニメーションで、感情を描くにはどうすれば良いのだろうか。暗く沈んでいるつぐみの表情を捉えるのも一つだろうが、ここではつぐみを描かないという手法がとられている。正確にいえば、カットとカットの間につぐみの感情を生じさせたのである。[ナギと仁が手を繋ぐ]カットと[つぐみの視線]を表すカットの間には、確かにつぐみの感情が存在している。

 映像の力はカットのカットの間に生じる。その描かれないものは視聴者の中でいかようの形も取りうる。しかし、描写の積み重ねで縛り付けて形を取らせるのが演出家の仕事だろう。

 仁とナギが手を繋いでいるという事実をつぐみは、掲示板の画面を通して知る。それは傍観者としての立場ではない。つぐみはこの結末を覚悟した上で仁の背中を押したのだろう…といったつぐみのやるせなさを一瞬にして我々は受け取ることができる。

 この描かれないものを描くために、一つ一つの描写が積み重ねられている。また、直接描かれない故に表現される感覚ともいえる。いわば上澄のようなカットなのである。つぐみ派としては、このカットを選ばないわけにはいかない。

つぐみの決意
 一つの飛躍を生む為に、つぐみの仁を想う描写が積み重ねられる。シリーズ全体を通しても、メイド喫茶に取り残されるつぐみだとか、「仁を守らなきゃ」と決意をするつぐみだったり、仁への想いが画面に出てくる。前回のエントリでは第十二幕の仁の動きにフォーカスを当てたが、つぐみが仁を想う気持ちも描かれている。

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