この前このブログでも紹介した「ぼくらは少年演出家」とかを見ていると、ちゃんとアニメ見ないとなあと痛感したので、ちゃんと見る。
kanon 第5話 魔物たちの小夜曲〜serenade〜
監督:石原立也
総作画監督:池田和美
脚本:志茂文彦
絵コンテ・演出:山本寛
作画監督:高橋博行
山本寛の復帰監督作が噂されている昨今という事もあって、久しぶりにkanonの山本寛演出回を見返してみた。
■川澄舞のみつめる先
第5話では、名雪の忘れ物を取りに夜中、学校にしのびこんだ祐一が、「魔物」を狩る謎の少女、川澄舞に出会う所から始まる。翌日、舞と学校で再会する祐一。そして、あゆや真琴との掛け合いがあって、夜中、舞の様子が気になってコンビニおにぎりを持って、夜の学校へと向かう。
舞は人気のいない学校の廊下にぽつんと立って、窓の外をずっと眺めている。
祐一は、第5話の中で3回、舞と出会う。
忘れ物を取りに来て、夜中、偶然に出会う時、翌日学校で再会する時、その夜、差し入れをもって舞の所を訪ねる時の3回だ。この3回は同じような構図で描かれているが、よく見るとカメラの位置が全然違う。

初めての出会い

翌日学校で再会

差し入れをもって訪ねる
まず初めて出会う時は、舞と祐一を中心に描かれている。画面の多くを舞と祐一が占めている(バストショット)。前回のラストでは舞の顔、刀、刀を持つ手とアップの連続で繋げてある。初めての出会いでは、舞というキャラクターそのものの特徴が表現されている。
一方、2度目・3度目ではカメラがキャタクターから引いて、舞が立っている「場所」が画面に映っている(ロングショット)。
この「場所」の強調によって、夜も昼も同じような場所に立っているこの川澄舞という少女はいったい何者なのだろうか。昼間も夜も窓の外をずっとみつめている。その視線の先にあるものはなんなのだろうか。というように視聴者を誘導していく。
映像は共に、二人の会話の最中喋っている人が映るように画面が切り替わる。一連のシーンでこのカメラの位置は保たれている。
次に、昼のシーンと夜のシーンとの違いに注目してみる。
夜のシーンでは画面全体に霧がかかっているような効果が加えられている。と、同時に画面の奥を見てみると、大きな違いがある。昼間のシーンでは奥がL字の曲がり角になっているが、夜のシーンでは廊下は無限に続くかのように長い。また、掲示板であるとか天井の電灯であるとか、学校を示すディティールはそぎ落とされている。同じ場所に立っている舞や映像の流れという意味的なものの助けがなかったらここが学校であるとはわからないくらいだ。
昼間の狭い空間では日常のよく知っている学校が描かれている。一方、夜の学校は幻想的で不思議な空間になっている。
ここでは、空間を歪めて描き、アニメならではのウソのつき方、演出がなされている。
■時間の演出
夜中に舞に初めて会った翌日、昼間学校で舞と再会する。その後、家に帰って何故か住み着いてしまった真琴とドタバタを繰り広げる。シーンとシーンの間には、祐一が住んでいる家のカットが映る。そこでは同じシーンの昼と夕方と夜が描かれている。時間経過を描く事で、このお話に1日という時間が流れている事を示している。
空を見てみると、その場その場で違った雰囲気を持った雲が描かれている事がわかる。恐らくは1枚の絵をベースにしているのだろうが、光の表現やこういった表現ができるのはデジタル作画の強みかもしれない。



■リフレインの面白さ
ここで注目してみたいのは、上でも引用した祐一の家のカットの「後」である。
第5話では、
・エロ本の事を知らない真琴にエロ本を買いにいかせる。
・マンガを読むのに集中している真琴のにくまんをこっそり食べる。
という二つのイベントが起こるのだが、この一連のシーンは、この家のカットから始まっているのである。のみならず、その後のシーンは全く同じカットで繋がれている。
詳しく記述するとこうなる。
「家のカット」→「家のカットに被るように祐一ぃという真琴の声」→「扉のアップ」→「それを怖い顔で思い切りあける真琴」→「ベッドに寝そべっている祐一」→「真琴が地団駄を踏みながら怒る」という一連のカットがほぼ同じ流れででてくる。
違うのは、家のカットの昼と夕方という違いと台詞だけだ(厳密にいうと最初のカットでは真琴の顔のアップが挟まる)。
同じシーンを繰り返す事によって、なんともいえないバカバカしさや、真琴の可愛らしさがにじみ出ている。同じようにひっかかって、同じように怒る真琴がなんともいえず可愛らしい。
居る場所もやっている事も違うのだが、昼も夕方もずっと真琴と祐一が楽しく遊んでいたような雰囲気も演出される。昼から夕方にかけてという時間変化も二人が過ごした1日という時間を表現しているように思う。
■間の使い方
川澄舞に初めてであった時、祐一は風呂に入ろうとする。
そこで、先に風呂に入っている真琴にばったりと遭遇する。というイベントが発生する。

上に引いたのは、がちゃりと扉を開ける祐一。とお風呂に入っている真琴のカットである(ふもっふのヒヨコがさりげない)。この二つのカットはおそらく、祐一が見た真琴と、真琴が見た祐一である。上向きの構図と下向きの構図がそれぞれ対応している。
こういった関係は注目してみると、kanon全編に渡って貫かれている。背の低いあゆと話しているシーンなどはわかりやすい。映像の基本的なお約束だと思われるが、忠実に丁寧に作られている。
このシーンで注目したいのは、緩急の利いた間の使い方だ。
祐一が風呂に入ると、それまでは流れていたBGMが止り、風呂のしずくの音や換気扇の音といった環境音がただ流れる。その間、上の2つのカットがゆっくりと映される。時間にして30秒近くがこの二つの絵で構成されている。そのうち、半分以上はまったく動かない。
その後は、真琴の悲鳴と共に止まっていた時間が動き出す。

最後に蛇足。kanonの第5話は放送当時に見ていたのだが、じっくりみてみると意外な発見や仕掛けがあって面白かった。一見しただけでは気がつかなかってけれどこうして見てみると、どことなく山本寛「らしさ」を感じてしまう。ファンだから偏った見方をしているのかもしれないけど。
ちなみに上のキャプチャは面倒臭いので、某動画共有サイトのものを使わせていただきました(DVDはmacのデフォルトツールだとキャプチャできない)。一応引用の範囲のつもりです。映像語るときに絵がまったく無いとキツいのです。

"Kanon 2"
(4話から6話を収録)
(追記 02.04に文書を調整しました)
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