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 『空の境界』の五章である。
 七章「殺人考察(後)」が式とコクトーという二人に用意されたクライマックスだとすれば、五章「矛盾螺旋」は空の境界という物語に与えられたクライマックスである。六章は、偉大なる妹と七章への伏線のためという所だろうか。

 なによりも、ラストシーンが素晴らしかった。
 式がコクトーに照れながら「お前の鍵をよこせ」という。

(以下、ネタバレ。)
幼いころ、その小さな金属片が自分の宝物だった。
いびつで、小さくて、ただ機能美しかもたない。
銀色の鉄は冷たくて、つよく握ると痛かったのを覚えている。


 巴は前のシーンで消失してしまうけれど、式が言葉にした「小さな金属片」を介して、この式とコクトーの二人だけのシーンに確かに存在している。

 式は巴に出会うまで、マンションに鍵をかけていなかった。式の部屋に転がり込んで来た巴が、鍵が無いのは不用心だと説教を足れて、昔のバイトの経験を活かして部屋の鍵を巴は式に渡す。
 巴が鍵に強いこだわりを持つ理由は、幼少期の幸せだった家族を象徴するエピソードに集約されている。父親が子供の巴に鍵さえあれば家族を守る事ができると託す。巴にとって鍵が無い家は家ではないのだ。
 物語の終盤で、コクトーと共に式が眠る小川マンションに望む。その時に、「鍵」はコクトーに託されたのだ。

 変な事にこだわるやつだと式は思っていただろうけれど、式の中にも巴という存在は根を下ろす。コクトーが来る直前まで、式が見ていた夢だろうシーンで、背中合わせに座る式と巴のカットがある。二人は決して交わらないけれども、最後に視線を交わす。

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 「鍵」がかかっているのでコクトーはチャイムを押して、式のその夢を終わらせる。その直後に、彼が確かに生きていて、その存在が、無意味では無かった事を示すように、式は頬を染めるのである。

 このラストシーンは、式とコクトーの間のなんともいえない照れくさい関係が頂点に達した魅力的な瞬間であると同時に、その背後にこの五章の主人公であり主題を担った巴をだぶらせる。 

 巴の最後を見ていて、スカイクロラの最後の方の展開を思い出した。共に「無意味な生」が生きようとする瞬間が、描かれているように思う。物語が佳境に入れば、スカイクロラの主人公は空に登り、巴はエレベーターで螺旋を描く。

 彼の欲望は、彼のつかの間の幸福は、荒耶宗蓮に埋められた種が芽吹いたものだった。それは今まで描かれて来た式との関係を否定するものである。みすぼらしく無様にチンピラを倒す巴とは対比的に颯爽と現れた式。勝手に転がり込んで来た巴を受け止めた式。イチゴ味のハーゲンダッツを食べ、ベットに寝そべる式と床の上で恋の話をする。式に男がいる事を感づいて迷い……そういった全てを無意味だと宣告されてしまう。試験管の中に浮かぶ脳がそれを宣告してしまう。

 奈須きのこがパンフレットで、巴は読者に感情移入させることで式との関係を持ってもらうという意図もあるキャラクターであるとインタビューで語っている。

 式が捉えられるまで(Aパート?)の描き方が印象に残る。過剰に同ポを使っている。シンクの中に投げ入れられたハーゲンダッツ、機械仕掛けの時計、マンションの扉を空ける手。シリーズで一貫して挿入される東京の夜景と相まって、そこには都市/現代的な生活感があらわれているように思う。同じ事の繰り返しを延々とやる。宮台が「終わらない日常」といったようなニュアンス。その中で築かれて行く巴と式との間に芽生える絆。

 式が捕らえられて以降は、映画自体も螺旋を描くようにエピソード毎に時系列が描かれる。この時系列シャッフルはいくつか面白い効果を生んでいたように思うのだけど、初見なのであまり詳しい分析はできず。DVD版が来たらやろうと思ったり思わなかったり。

 冒頭のゆっくりと画面を横切るように走る巴のカットであるとか、画面奥から手前に歩いてくるカットなどにデジャブ感があった。ゆったりとした大きな走りと言おうか。あと、いくつかのレイアウトに湯浅さんが監督した作品の様な雰囲気があった。監督はマッドハウス出身ということで、人脈的に重なっていたりするんだろうか。

 また、橙子の見せ場が多い回でもある。「矛盾螺旋」は同窓会のような話でもある。いつにもまして意外な一面が見れる。
 かつての同級生との間にある怨恨や、魔法学校時代のエピソード(**というとぶちきれたり)。
 あとは、時系列がシャッフルされているからこそ、最後の登場が活きていた。トランクを片手に進むトウコ。それは、実際にかつての同級生が悲鳴をあげるまで、「前」で起こったか「後」で起こったかがわからないのである。

 また、橙子はしっかりしているように見えて実はドジっ娘である。「伽藍の堂」で、軽く敵を倒すと宣言しておきながら、ちっともきいていない攻撃をしたり、この第五章でも、話に夢中になって道を間違えてしまうトウコであるとか、雰囲気は大人の女性なのだが、ドジっ娘の側面を忘れない。なによりも、ロケットペンシルの話題の時に、一瞬はさまる驚いた顔。
 こういった橙子の魅力や多層性が、Type Moonの新作『魔法使いの夜』でどのように発揮されるのか、楽しみな所。
 セイバーのはらぺこ設定ではないけれど、こういうギャップは奈須きのこっぽいように思える。

 空の境界の映画化もあとわずかである。

 世の中に流通している物語は、読み飛ばされる、観飛ばされるのが前提のような状況がある。
 だけれど、『空の境界』の場合は、映画で一回、DVDで一回は最低メディアに載るわけである。それが全部で七回ある。一年以上にわたって、一つの物語を展開されていく。

 一つの作品にこれだけ長く触れ合わせてくれる、燃料を補給し続けてくれる。かなり長い間、『空の境界』の世界につかず離れずいられるわけだから。
 この濃密な空間を味わえた事だけでも、今回の映画化の企画は成功だったように思う。

 とかいっている間に、竹箒が『空の境界』の続編「未来福音」を出してしまった。どうするのだろう。読み方によっては、新シリーズ開始ともよめるラストだったけれど。
 個人的には、DVDを全部集めたら、おまけについてくるとかがいいと思ったりもする。

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カテゴリ:評論
タグ: 空の境界 奈須きのこ
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