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『海がきこえる』のテレビ再放送が近づいて参りました。
若い頃には里伽子はどうして画面から出てこないのかと悶々としていた記憶もあったり、思い出深い作品なので楽しみにしています。

さて、宮台真司・石原秀樹・大塚明子『サブカルチャー神話解体』(1993)には、海がきこえるのチームに取材をしている箇所があるので少し紹介してみたいと思います(*)。

時代を感じさせるのは、この発言。

近藤 多くの背景を写真から起こしています。これは単純な模写とは違う。背景美術にも力がなければやれない方法です。
高橋 だから、こういう成功作(視聴率は関東で一七.四%)の後なのに類似企画が皆無。技術的にジブリにしかできないと思われたようです。


この手法は今や一般的ともいえる手法になっています。
『らき☆すた』のオープニングを鷲宮神社で踊ってみて、再現したヴィデオ映像なんてのはニコニコ動画で腐るほど見てきました。

私が意識するようになったのは、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』等の京都アニメーション作品ですが、他にも色々とあります。実際の映像と実写を比較されている方が何人もおられます。

『涼宮ハルヒの憂鬱』 / 『世紀末オカルト学院』(2010) / あの花。

そして 海がきこえるの聖地巡礼(高知・東京)をされている方もいます。

 「技術的にジブリにしかできない」手法が何故このようにひろく使われるようになったのかは非常に興味深い所です。

 アニメ制作のデジタル化がひろく可能にしたのか、アニメ背景の技術がこの十何年で成熟してきたのか、視聴者のニーズの向上に技術陣が応えたのか、昨今の背景トレス手法はジブリからしてみたら噴飯物なのか。いずれも仮説で、決定的な証拠が挙げられないのでこのあたりにしておきたいと思います (**)。

*

 ちなみにサブカルチャー神話解体での筆者達は『海がきこえる』に次のようなモデル化をしています。

アニメとしてはほとんど初めて少女マンガの高度な<関係性>を描いたこと(しかもそれが途中から少年マンガの短絡的<関係性>に変質してしまう)(……)
宮崎や高畑は、誰も気にとめない些細な振る舞いー煙草を吸うとき窓を開けるなどーを敏感に観察して描くのを「リアルさ」と見なすが、『海』はそうしたやり方をとらず、類型的ともいえる背景描写ー石膏像のある美術室、尾道風の坂の上にある家などーに徹する。これは一見「リアルさ」から遠ざかると見えて、ちょうどシンプルなボードの上でのチェスの駒の複雑なやりとりと同じで、<関係性>の描写にはかえって効果的だ。(……)だがせっかく積み上げた微妙な<関係性>は後半部で突然色褪せてしまう。筋の通ったクールさを持つ里伽子は「カワイイ子」になり、緊張した友人関係は「仲良し共同体」へと弛緩する。


 少女漫画的な<関係性>、と男性の欲望に忠実な「仲良し共同体」という二つの極。
 こういった極が引き起こす齟齬や反発は、男性が主体となっているだろう萌えアニメに少女漫画的な<関係性>を持ち込めばいかにねじれてしまうかという(よくみる)論点にも繋がりますし、この<関係性のリアルさ>を評価し「仲良し共同体」への弛緩を批判するなんて宇野常寛さんのゼロ年代批評の一部分と重なるようでもあります。

 まぁ、同じような事を手を変え品を変え語っているという事なのかも。



 色々と紹介してきましたが、映像の視聴に答えなんて無いと思うのですね。
 好きなように見て楽しめばいいのだし、あなたの解釈があればあなたにとってそれが最高なのは疑いようがありません。
 とはいえ、色々なフレームを持っていた方が楽しくアニメを見れるだろうとも、私は信じています。

 という事で、もうすぐ『海がきこえる』はじまります!
(*)ジブリのアニメ、って事なのでもっと他のソースがあるでしょうが、手持ちにはこれしかなく。
 何か、ご存知なら教えてください。


(**)これも何かご存知であれば。。

追記(21:33)
せっかくなので、インタビューの他の部分も。


(引用者註:実写ぽいという評価を問われて)
望月 実写とはかなり違うんですが、キャラクターは本当の人間の体型で描いていませんし。ただ、動きとか背景の美術とかと合わせたときに出てくるリアル感は狙っていました。普通の商業アニメでは止めのスチールを見ると、「あっこれはリアルだ」となるけど、『海』はむしろスチールでは単純に見えます。(……)

近藤 (……)単純な線でもアウトライン(目とか鼻とか輪郭とかが相互に関係し合って面を表現したもの)がリアルなのが、僕にとってのリアルです。抽象的だけれどもリアルな絵をベースに、アニメーションを感じさせないようにするというのが目標だった。「実写でできる」という錯覚を持たれることを実は期待していたんです。


高橋 この作品について宮崎さんともいろいろ話をしました。彼の意見を僕なりに解釈すると、(1)青春はこう「です」、恋愛とはこう「です」という写実の映画は、作っても仕方がない。恋愛はかくある「べし」を提起していない。(2)あまりに男女関係がさらっとしている。最初からハッキリ拓が里伽子を好きだと分かるようにしておかないと、ドラマにならない、といった点が不満だということのようです。


 
#文庫もありますが私の参照したのはこちら。当該インタビューが文庫にあるかはちょっと不明なので、こちらのリンクをば。

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