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 2ちゃんねるのスレで
 「涼宮ハルヒの憂鬱っておまえらが面白いっていうから第一話だけ見たんだけど全然つまんなかった。」
 「そりゃ、第一話だけみたらそうだろw」
 みたいな会話があった。

(以下、ハルヒのネタバレをふくみます)

 『涼宮ハルヒの憂鬱』の第一話は、ハルヒ達が高校の文化祭で流す為に作った同人映画を忠実に再現したものだ。シンセサイザーの安い音源感を強調した楽曲に合わせて、わざと噛みつつ音程を外しつつ歌う主題歌が流れる。
 その後も編集ミス。脚本のミス。極端な棒読み。逆光。くだらないストーリー展開。ちゃちな戦闘シーン。と思い出しながら書くだけでも、これだけの欠点が挙げられる。こんな最低の作品を最高の作画・演出技術で、世に送り出したのだ。

 そんな下手な学園祭の映画もなんとか終わって、エンドロールが流れる。そこには、長門有奇・朝比奈みくる・キョンという『涼宮ハルヒの憂鬱』の登場人部の名前が不器用に流れ、最後に、監督・涼宮ハルヒと流れる。このたった五文字の情報だけで、涼宮ハルヒと出会ったのだ。
 そして、一番最後に初めて『涼宮ハルヒの憂鬱』というタイトルロゴが現れて、エンディングテーマ「ハレ晴レ」が始まる。一話の最後にいたるまで本編が始まらない。始まった途端に予告編になるという挑発的な構成でハルヒは始まった。これは挑発的でもあるし、暗示的/象徴的でもある。

■ハルヒの大まかな構造


 第一話の登場人物が作った映画を上映するというのもそうだけど、ハルヒの物語はメタフィクション性を持っている。メタフィクションとは日本語で書けば超虚構で読み下すと、虚構(物語)を超えるとなる。wikipedia7.16版「メタフィクション」には、「ストーリーに注釈を入れつつストーリーを進める」「フィクション内フィクション」「通常と異なる順序で読むことができる非線形小説」という典型例が紹介されているけど、それだけでハルヒっぽい。

 ハルヒの大まかな構造はこうなっている。
 まずは、軸となるストーリーがある。これはキョン達が過ごしている学園生活の事だ。
 そこにジャンルが全く違う演出の回がはさまっていく(話数はテレビ版)。第11話「射手座の日」にあった部室の中で展開される宇宙艦隊もの。第12話「ライブアライブ」の音楽バンドもの。第6・8話「孤島症候群」のミステリ/逆転裁判もの。第7話「ミステリックサイン」のフルメタルパニック。それぞれがクオリティが高く、下請けで行列待ちが出来たと噂される製作会社だけの事はある。

 で、軸となる学園生活とは全く異なるレイヤーが、内側と外側の方向に向かってそれぞれ、用意されている。内側をハルヒレイヤー。外側を世界レイヤー。基準となるキョン達の学園生活を、学園ドラマレイヤー。異演出によって仮に立ち上がる世界観をパラレルレイヤー。とでも仮に言っておく。これに加えて、キョンの一人語りによる自己言及、をキョンレイヤーといってもいいかもしれない。

■ハルヒレイヤー


 SOS団とはいうまでもなく、界をおいに盛り上げる宮ハルヒの団だ(笑えばいいのだろうか)。ハルヒレイヤーとは、この団長涼宮ハルヒをトップとするレイヤーの事だ。例えば、ハルヒが監督をやっている作品、テレビ版1話「朝比奈ミクルの冒険」がわかりやすい。ちなみに、この1話が実際の学園ドラマレイヤーで上映されるのは、12話「ライブアライブ」での事だ。

 さらに、テレビ版の予告編での掛け合い(滅茶苦茶な話数をいうハルヒ・本当の話数をいうキョンという掛け合い)もこのレイヤーに属するんじゃないか。つまり、滅茶苦茶にお話を入れ替えていく行動は、SOS団団長ハルヒがやっている。ちなみに、シリーズ構成は「涼宮ハルヒとゆかいな仲間たち」となっている。

■世界レイヤー


 このSOS団団長がいる学園ドラマレイヤーから、外側に向かう世界レイヤーとは、原作内やアニメ版で示唆されている『涼宮ハルヒ』の軸となる世界観である。つまり、学園ドラマレイヤーの創造主が涼宮ハルヒなのではないか。という設定である。「超能力者」古泉一樹が13話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴ」で古泉一樹がこう語っている。

「人間原理を出したのはものの例えです。(……)世界は涼宮さんによって作られて作られたのかもしれない。(……)涼宮さんは宇宙人がいるに違いない。そうに違いないと願った。だから長門有奇がいる。同様に未来人もいて欲しいと思った。だから朝比奈ミクルがここにいる。そして、僕も。彼女に願われたというそれだけの理由でここにいるんですよ。(……)我々だって信じられなかった。一人の少女によって世界が変化、いやひょっとしたら創造されたのかもしれないなんて事をね。」

 つまり、学園ドラマレイヤーを構成しているのは超存在としての涼宮ハルヒである。
 基準となる学園レイヤーから、内側に向かうハルヒレイヤーはSOS団団長としての涼宮ハルヒがトップにいる。そして、外側に向かう世界レイヤーには涼宮ハルヒの無意識(?)がトップにいる。

■エンターテイメント/メタフィクション


 と、これだけ書くとややこしい作品のようにも思える。けれど、見てみたらただ単純に面白い。しかもこれだけヒットするという事は、時代性ももったエンターテイメントになっている。
 こういったややこしい構造を、見事にエンターテイメントに昇華させる。ないしは、エンターテイメントをもった物語に発展するだろう設計や強烈な感情移入を可能にする設計が行われていて、ここが涼宮ハルヒの凄いところだともいえるだろう。

 さて、こういったメタフィクショナルな構造(分析Ⅲ)とWeb2.0(仮)的なマーケティング(分析Ⅰ)・コミュニケーション、京アニとユーザーの間のボケとツッコミの関係(分析Ⅱ)。と長々と書いてきた。
 で、『涼宮ハルヒ』がどういった物語を作っていって(分析Ⅳ?)、それがが自分(達…だったらいいんだけど)にくれた面白さとはなんだったのか(分析Ⅴ?)という2つの方向に、

続く。

■目次


涼宮ハルヒの分析Ⅰ
涼宮ハルヒの分析Ⅱ 京アニがボケてファンが突っ込む。舞台はWeb2.0(仮)
涼宮ハルヒの分析Ⅲ エンターテイメント/メタフィクション
涼宮ハルヒの分析Ⅳ 意味付け装置としてのネット
涼宮ハルヒの分析Ⅴ-1 京アニ演出の巧さ、世界の裂け目がもたらすめまいについて
涼宮ハルヒの分析Ⅴ-2 メディア・ギミック・イリュージョン テレビ版ハルヒとDVD版ハルヒの違いが持つ意味
涼宮ハルヒの分析Ⅵ-1 欲望投影システムとしてのハルヒ エヴァ・ビューティフルドリマーからの世界の肯定
涼宮ハルヒの分析Ⅵ-2 涼宮ハルヒの「憂鬱」について

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カテゴリ:評論
タグ: 涼宮ハルヒ 目次::涼宮ハルヒの分析
次のエントリ;ブレイブストーリーの売り方。
前のエントリ;涼宮ハルヒの分析Ⅱ 京アニがボケてファンが突っ込む。舞台はWeb2.0(仮)



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