戯言と作品レビューや分析のブログとその時の思いつき。

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 世界の裂け目がもたらすめまいについて。それを可能にした作品内部、メディア環境をフルにいかした京アニを代表とする、制作陣の演出の巧さについて。後は、サーバー上でのメディアミックスについて。

■めまい その1 作品内部でのドライブ


 涼宮ハルヒ、を見ていて感じたのは「めまい」だ。
 世界の認識の枠組みが組み変わった時に感じる、くらくらする感覚。

 分析Ⅲで、重層的な構造について書いた。ハルヒ達が学園生活を送っている世界を学園生活レイヤー。ハルヒ達が作った世界をハルヒレイヤーと仮に名前を付けておいた。私は、テレビ版・第一話「朝比奈ミクルの冒険」でやられてしまったのだが、このいくつものレイヤーを駆けめぐる感覚にやられた。

 「朝比奈ミクルの冒険」を見るとき、ハルヒレイヤーを物語の限界として見ている。超能力者がいて謎の戦闘があって、萌え要素が若干あって、というようなものとして見ている。しかし、その実態は学園生活を過ごしているハルヒ達が制作した自主制作映画である。「朝比奈ミクルの冒険」では退屈な演出がしてある(友人に勧める時にこの回から見せると大体眠ってしまう程退屈。)

 このハルヒレイヤー(自主制作映画)と学園生活レイヤーの間には劇中で、所々に裂け目が見えている。ミクルビームを発射した後の脚本外の出来事とハルヒの怒声。学校屋上での花火の打ち上げに乱入してくる教師など、「朝比奈ミクルの冒険」の外の世界が示唆されている。

 そして、「朝比奈ミクルの冒険」はつつがなく(?)終了し、「朝比奈ミクルの冒険」のスタッフリストが流れる。そのエンディングに、涼宮ハルヒの声が重なって「この作品はフィクションで…」というナレーションが流れる。このナレーションをきっかけに「すごいじゃない!SOS団に不可能の文字は無いのよ!」と、「朝比奈ミクルの冒険」を試写している部室にカメラが切り替わる。ハルヒレイヤー(自主制作映画)から学園生活レイヤーにいるハルヒに展開されていくわけである。

 視聴者としてはハルヒレイヤーの内側で物語を受け止めていたわけだが、一気にその外側に拡がる学園生活レイヤーにまで引っ張ってこられる。地平がぐらつく感じがして、くらくらっとくるわけである。そして、そのめまいが残っているうちに、「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品のエンディングが始まる。第一話には「涼宮ハルヒの憂鬱」のオープニングが存在せず、エンディングのみが存在しているのである。さらにめまい。

 「朝比奈ミクルの冒険」のエンディングでのハルヒのナレーションをきっかけにした、3分だかそこいらで、一気に物語の枠組みを3度変える。このくらくら感が生んだ快感で、私はハルヒにやられたのである。

 さらに、涼宮ハルヒには学園生活レイヤーそのものの外側を示唆する世界レイヤーがあるという事も、涼宮ハルヒシリーズに親しんだ人なら知っているはずだ。

 こういった基本的な小説世界の設計は原作である小説版涼宮ハルヒがそもそも持っていたものである。「朝比奈ミクルの冒険」そのものを描いたテレビ版第一話の直接的原作の短編。「朝比奈ミクルの冒険」の制作過程を描いた長編。また、「ライブアライブ」のように、「朝比奈ミクルの冒険」が上映された文化祭に焦点を当てた短編もあるなど、基本的なアイデアは原作の中に示されている(これら小説版の極力ネタバレを含まない紹介はこちら(まだ工事中))

 こういった小説版の構造を、テレビ版は最大限に魅力的なものにして、全く別物ともいえるような「読後感」を実現しているように思える。テレビ版第1話「朝比奈ミクルの冒険 Episode00」と原作版である「朝比奈ミクルの冒険 Episode00(涼宮ハルヒの動揺に収録。詳しくはこちら)」とでは破壊力が違うのは何故なのか。

 まず、映像の持っている没入間の強さがある。人によって違うかもしれないが、私は文字を読んでいる時よりも映像の方が没入感が高い。文字だとテンポも自分で決められるし行きつ戻りつを繰り返しながら考えながら読む事も可能である。しかし、映像では制作者のリズムに身をゆだねる事が求められる。それに、文字よりも右脳ダイレクトといおうか直接的なイメージを受け取る事となる。

 次に、原作版で個別に展開されてきた作品をまとめて使える後発の利を活かした演出の巧さがある。上の方で詳述した第一話の最後の数分間で多重的な構成をかろやかに移動する展開や、エンディングから始まる第一話など巧い。
 この巧さはすでにある素材のリミックスの巧さである。基本設定である「涼宮ハルヒの憂鬱」や撮影過程を描いた「涼宮ハルヒの退屈」本編である「朝比奈ミクルの冒険」などのさまざまな要素を一本の作品にミックスした、圧縮間が気持ちよいのだと私は思う。
 この第一話を、そういった積み重ねがないままに原作版の一番最初に持ってくるのは、さすがに無理というものである。

 同じように、テレビ版全体の構成も巧い。
 第一話で学園生活レイヤーとハルヒレイヤーとの目まぐるしい展開をやってのけてから、世界レイヤーを示唆する「憂鬱」シリーズを流す。しかし、手の内を見せたところでその謎は完全には解決されず、謎をサスペンドした状態で学園生活レイヤーでの物語がはじまる。そして、学園生活レイヤーとハルヒレイヤーが同時に出会う「ライブ・ア・ライブ」つまりは第1話「朝比奈ミクルの冒険」の解決編をやって、「憂鬱」解決編へと向かった。

 原作「涼宮ハルヒの憂鬱」では、学園生活レイヤーと世界レイヤーとの関係に焦点を絞っているように思う。つまりは「世界を作ったのは涼宮ハルヒなのではないか?」という奇妙な世界観の提示と、その世界観での学園ストーリーを最短のパスで行っている。
 アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」では、その学園生活レイヤーと世界レイヤーとの緊張関係の表現に加えて、学園生活レイヤーそのものの表現が多い。これは、原作「涼宮ハルヒ」で、谷川流が量産した短編がベースになっている。

 「涼宮ハルヒの憂鬱」の主題のひとつである世界認識のぶれに関しても、テレビ版のように、普段の学園生活の描写を挟んだ方がギャップがあって衝撃的だ。原作「涼宮ハルヒの憂鬱」を正確になぞっている漫画「涼宮ハルヒの憂鬱」を読んでいて思った事だけど、朝倉涼子は早く殺されすぎなのである。

 テレビ版のように学園生活の中での戯れを世界として与えられた後に、それに裂け目をもたらす殺人鬼と化した朝倉涼子が与えられた方が衝撃がでかい。一言でいってしまえば、演出が巧いということになるとは思うのだけど。

 次は、サーバ上でなされたメディアミックスともいえるめまいについて。

■めまい その2 物語と現実との間のドライブ


 公式ウェブページにアクセスをする。そうすると、プロが作ったとは思えないようなページがあらわれる。実はこれは、アニメの中でハルヒ達SOS団が作ったウェブページなのだ。なお、このページは刻一刻と変化していっていて、昔に見た時に比べて、説明過剰で、随分つくりっぽくなってしまっている。初期においては、おそろしく貧相なウェブページであった(どういった変化をたどったのかは、悠々日記さんが詳しい)。

 このSOS団作成のウェブページであるが、手が込んだ事に、アニメ版の進行と併せて変更が加えられている。アクセス数が向上したというエピソードがあればアクセスカウンタをテレビ版のそれと一致させる。ロゴがきっかけで事件が起こってそれを修正するというエピソードがあれば、そのロゴの修正が現実のウェブページでも行われる。

 さらに周到な事に、ソースコードを覗くとコメントアウトして、「修正 長門有奇」と書いてあるのだ。初めてこの事実を知った時、かなりくらくらっと来たのを覚えている。
 さて、登場人物が創作物を作る、つまりフィクション内フィクションという表現は珍しいものではない。最近だと『げんしけん』のコミックスのおまけに彼らがつくった同人誌がついていたりする。『NHKにようこそ』のマンガ新刊では、ついに佐藤が作ったエロゲがおまけでつくともいう。

 だから、演出や世界構築の優劣を決めるのは、読者や視聴者が、どのようにしてその表現を受け取ったかの違いにある。

 まず、ウェブというメディアの特徴がある。雑誌のように特定の人が発信可能なメディアだと、どうしても作り手が意識されてしまう。一方ウェブページだと、誰もが発信可能だから、そういった特別な作り手の意識が薄い。SOS団ウェブページと知り合いの知り合いが作ったウェブページは同じように受け取ってしまう。

 誰かが作った現実には存在しない長門さんにリアリティを感じてしまう。これを異常だといって、「アニメのキャラに恋するくらいなら声優に恋をすればいいのに」といった暴論をどこかのブログで読んだ記憶がある。しかし、今の社会ではメディアの向こう側を知る事はできないのだから、アニメのキャラも現実の人間も変わらない。違いがあるとすれば、明示的なコントロールユニット(演出家・脚本家?)が存在するかどうかだけの違いである。

 例えば、現実の肉体を持っているアイドルでも、ゴーストライターが書いたアイドルのエッセイを消費する。というように人間そのものを受け取るというよりは、メディアが付加した意味づけを消費している。アイドルはトイレに行かないという神話が昔にあったそうだ。さすがに、今ではそういった極論は少ないかもしれないが、メディアによって作られたアイドルのキャラクターをアイドルそのものとして受け取っているという点では、同じだろう。

 パソコンの向こう側にいる人の顔を知る事は無い。そこにアニメのキャラクターがいたとしても不自然ではない。もちろん、アニメのキャラクターが物を作る事はありえないという常識があるので、本当は別の制作者がいるのであると脳内で補正をするわけだけど。フィクションの世界と現実の世界がねじれた形で同一地平に置かれていてめまいを感じた。ハルヒのメタと現実のメタがねじれた形で繋がっている。

 この感覚を、サーバー上のメディアミックスだと言えるかもしれない。ネットの向こう側にアニメのキャラクターがいるかもしれないという、演出。普通のテレビ番組だと公式サイトにあたるものが特設ファンサイトとして、運営されているあたり確信犯だ。

 この演出は、何よりも世界の創造主としての涼宮ハルヒという設定・世界観を最大限に活かす演出である。というよりも、ここでさらなるねじれが起こっている。

 涼宮ハルヒの物語設計、つまりは学園生活レイヤーを中心に世界レイヤーとハルヒレイヤーが拡がっているという構造が、現実とフィクションをねじれた形で同一平面に配置している。

 SOS団ウェブページは、「朝比奈ミクルの冒険」などのようにハルヒ達が作ったもの(=ハルヒレイヤー)である。物語世界では、ハルヒレイヤーの外側には、キョンや長門、みくるなどがいる。つまり、ハルヒレイヤーの外側には、学園生活レイヤーが拡がっている。
 一方、我々の現実世界にもSOS団ウェブページや朝比奈ミクルの冒険という、ハルヒ達がつくったものが存在している。現実世界では、ハルヒレイヤーの外側には、私たち視聴者がいる。

 何が言いたいかというと、テレビ版、第一話の後半で朝比奈ミクルの冒険をみるSOS団の面々=テレビ版第一話を見ている私たちという関係が成り立つ。学園生活を送るキャラクター達がハルヒ達の作品を受け取るのと同じように、現実世界でも同じくハルヒ達の作品を外側にいる私たちが受け取る。

 秋葉原やブログの中にあるファン群と、ハルヒ達の物語である学園生活レイヤーがねじれた形で直接繋がっている。勿論、これはネットなどのメディアを使ったギミックであるのだけど、このねじれ方はとても巧い。

 位相的には自分たちがいる現実とハルヒ達のいる学園生活レイヤーは変わらない。現実とハルヒの世界が繋がっているような気分がして、くらくらっとくる。

 アニメの学園ラブコメ世界と今自分がいる世界とが同じなのだという主張を試しに友達に行ってみた所、彼は、しばらくの間無言であった。だが、それにもめげず、このねじれによる繋がりを世界レイヤーまで広げてしまうと、さらに逝っているように見える。

 今、私たちがいるこの世界の生成が涼宮ハルヒという一人の少女、しかもアニメのキャラクターによって支配されているのだ!と口はばかっていうと、かなりの確率で危ない人だと思われてしまうだろう。この文書を書く過程で某デニーズで「ハルヒがおれの隣にいるような気がするんだよ!」と3時間くらい語ったわけだが、かなりのブラックリストに乗ってしまったような気がしないでもない。

 しかし、実際問題、そういった作品との一体感を私は感じたし、ハルヒという作品は、そういった破壊力を秘めた作品であると思う。

 また、よく考えてみると、そこまで危ない考えにも思えない。


続く。

(分析Ⅳからは大分時間が経ってしまったのですが、Ⅴの残りは今日中にでも、Ⅵは数日以内にアップする予定です)

■目次


涼宮ハルヒの分析Ⅰ
涼宮ハルヒの分析Ⅱ 京アニがボケてファンが突っ込む。舞台はWeb2.0(仮)
涼宮ハルヒの分析Ⅲ エンターテイメント/メタフィクション
涼宮ハルヒの分析Ⅳ 意味付け装置としてのネット
涼宮ハルヒの分析Ⅴ-1 京アニ演出の巧さ、世界の裂け目がもたらすめまいについて
涼宮ハルヒの分析Ⅴ-2 メディア・ギミック・イリュージョン テレビ版ハルヒとDVD版ハルヒの違いが持つ意味
涼宮ハルヒの分析Ⅵ-1 欲望投影システムとしてのハルヒ エヴァ・ビューティフルドリマーからの世界の肯定
涼宮ハルヒの分析Ⅵ-2 涼宮ハルヒの「憂鬱」について

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カテゴリ:評論
タグ: 涼宮ハルヒ 目次::涼宮ハルヒの分析
次のエントリ;涼宮ハルヒの分析Ⅴ-2 メディア・ギミック・イリュージョン テレビ版ハルヒとDVD版ハルヒの違いが持つ意味
前のエントリ;バンキシャでいしかわじゅんが韓国以外全部沈没と発言



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