今、リメイク版が公開中のキングコングが初めて制作された年は1933年だそうで、今から70年前。淀川長治コレクションというDVDでみた事がある。このシリーズには、淀川長治の喋りが冒頭についていて、数年前の記憶をたどるにこんな事を言っていた。
「大きい大きいおさるさんがでてきます。フェイ・レイという綺麗な綺麗な女優さんがでてきます。大きいおさるさんを見て彼女はきゃーと大きな口で何度も何度も悲鳴をあげます。その悲鳴。怖いですね。怖いですね。見ていてびくっとなります。けれど大きな大きなおさるさんとフェイ・レイは恋に落ちていく……」
記憶は相当曖昧なのでいまいちかもしれないが、すごい名語り。キングコングをおさるさんというセンスがたまらない。そのうち、DVDを借りてきて正確に引用したい所。
その昔の映画は70年前に作られて今の水準からみるととても技術が低い。おさるさんはなめらかには動かなくて、かくかくとコマ送りだった記憶がある。何度もリメイクされているし、映画の古典の一つだと思うのだが、道具立てが完璧。自然と野生の対比、美女と野獣という対比、それにどんなアクションシーンを入れても不自然ではないどくろ島という設定などなど。
現在、2005年度版のキングコングが上映中だけど、キングコングという物語構造にあっただろう可能性を全て引き出すような傑作。制作者がキングコングを愛している事が一つ一つ伝わってくる。昔の映画だから、相当に荒唐無稽な設定である。多分、それだけを聞いたらよくあるB級映画だと思っても無理はない。「どくろ島というひどいネーミングセンスの島にいったら、大きいおさるさんとか恐竜とか謎の生物がすんでいる。娘がシュミーズ一枚で悲鳴をあげながら逃げまくる……」けど、そこに魅せられた人がその無茶な設定の空白を想像力で埋めていく。
オリジナル版でラストのエンパイヤステートビルに猿が登っていくとこなんて、迫力のある絵がとりたかったと、そういう理由でしかないんじゃないか。もしくは、野生と都会の対比をわかりやすく見せたいだとか。けれど、2005年版ではキングコングは馬鹿で高いところが好きだからビルに登ったのではない。見事な意味づけがされている。そこには、キングコングマニアたちが酒場で交わした馬鹿話が集約されているような気がする。もし、原作版の不自然な所、もしこうだったら面白いよね。というようなアイデアが最初から最後までつまっている。
猿と人間がひかれあっていくというのは普通に考えたら感情移入不可能で、相当に無理がある話だ。けれど、この2005リメイクを見ていたら、それもありうるかもしれないと自然に感情移入してしまう。
設定が完璧で、後は作り手がその器に好きなものを盛れば良い。というのは、映画的かもしれない。映画というのは、何百人ものスタッフが関わる。その多くのプロ達が楽しくクリエイティブな仕事をする為には、アイデアが入る余地が多ければ多いほど良い。そして、どんなアイデアを入れても物語が崩れない強い器が欲しい。そういった意味で、キングコングは映画の古典なのかもしれない。家族でいくも良し、恋人でいくも良し、野郎ども同士でいくも良し、一人で行くも良し、その時代時代の最良のテクノロジーを使って、何度でも形を変える『映画』でした。
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