戯言と作品レビューや分析のブログとその時の思いつき。

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ひぐらしく頃にというサウンドノベルがある。昭和末期の一つの村を舞台にしたお話。ダムが出来るので住民の反対運動があったり、そこで謎の死が…。一本目のシナリオはフリーで配布されている(→)。

私はお話が佳境に入ると1時間くらい鳥肌立ちっぱなしになる。じーっと自分の鳥肌をなでたり見つめたり出来るほど維持力のある鳥肌。こういう体験は今までにしたことがない。プレイした人の何割が言ってるのかわからないけど、トイレに行くのが怖くなった。

皆そんなもんだと思って友達に聞いてみると、やってみたけどよくあるホラーものって感じであんま怖くなかったという人がいた。へぇ、そんな感じ方もあるんだなあと思い、以下にまとめてみる。(ストーリー的な謎には踏み込んでないですが、ネタバレ気味です。)
その彼は、涼宮ハルヒが好きだといった。「スモークチーズの作り方っ? ググれっ! とか最高じゃないですか。ただの水持ってくるんですよ。」と熱く語っていた。

で、話すに自分がはまった世界の重層構造の奇妙なリアリティ感などには彼ははまっておらず、キョンの距離感を持たせた一人称的な語り口にが実に良かった、というようなことを言っていた。ローゼンの狙った感じのキャラクターは苦手であると言っていた。お前はそれなら何故鶴屋さんが好きなんだと喉元まででかかったんだが、人間というのは不思議な生き物なのだと納得する。それはさておき、入口が広くて出口も広い涼宮ハルヒという作品はそりゃブームになるわと思った次第であった。

ひぐらしという作品は、ハルヒが、キャラを好きになろうが世界観を好きになろうが各種のネタを好きになろうがその面白さにアクセスできるという幅広いフックがあるのに対して、怖いか怖くないかという軸が中央にでかくそびえているように思う。

どちらが優れているという話では全然無く、ひぐらしは入口が狭いんだけど、そこを入ると中には豊穣な世界が広がっている。というのも、怖さというのは泣きや笑いに並ぶ人間の生理的な感情である。鳥肌を立てようと思っても立てられるものじゃない。自分がコントロールできない箇所が感じた恐怖ゆえにそのキャラクターなり世界観を受け入れていく。

アキバの店員が、「もうなにもかもが信じられなくなりました」とポップを立てていたとどこかで読んだ。この一言がいかなる恐怖体験をもたらすかを如実に語っているように思う。

自分が信じていた世界を覆されるときに人は恐怖を感じるんじゃないだろうか。

今まで楽しく話していた友達とか恋人にいきなり「もう絶交だから。会うのやめよう」といわれるような恐怖。911が起こったときもいきなりのその出来事にかなりパニックになったのを覚えている。
俗流精神分析を使ってしまうが、対象に自分の気持ちを投影させ転移させる。友達のいきなりの絶交、世界秩序の激変といった事態は、そういった対象にやどる自分自身に裏切られる体験なのではないだろうか。

ラブコメ的な共同体が牙をむく。そして、何よりも恐怖だったのはキャラクターの内面に裏切られるという事だ。表面は何も変わらないのだけど、確実にキャラクターの内面が自分自身を疎んでいる事を状況が示している。

ミステリーという形式が持つ動機を探りながら読んでいくという姿勢が読者の中にキャラクターの内面性を形作り、アニメ的なものへの引用に満ちた語り口や素材がもたらす一種の安心感や油断で弛緩している最中に、その自分の中にあったはずのキャラクターの内面に裏切られる。その恐怖。

だからキャラクターの内面に自分自身を投影できなければ、あまり恐怖を感じないのではないかと思った。

中学生くらいの時に、ある小説を読んでいてヒロインに恋をしてどうしてこいつと直接話せないんだろうともんもんとした数日を過ごしたことがあった。現実の女の子に恋をするのと同じように小説の女の子に恋をしたわけだけど、そういった感覚は実はそもそも持っていない人がいるようである。

良い年して虚構を愛する人は一杯いるけど、虚構を愛するという事の中にはキャラクターへの愛着や関係性の表示というもの以外にも色々なものがある。知り合いのイノセンス好きが、「人間関係が陳腐だとかいうけどそんなものはどうでも良くて、建物が描かれていればそれでいいんです。そういう意味では冒頭の飛行機がうざくてしょうがねえ。そんなもんに力をそぐ暇があったら都市にリアリティをもたせてほしいよ!」と力説していた。かくも多様なものである。

後は、ホラー系の引用が手に取るような人も怖くないのかもしれない。あぁ、あのネタをもってきたのねって引いた人は駄目かもなあ。没入→裏切→恐怖だという気がするので。

入口は狭くて中が豊穣なひぐらしという作品はある種の踏絵なのかもしれない。

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カテゴリ:エッセイ
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