戯言と作品レビューや分析のブログとその時の思いつき。

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一点目。
エンドレスエイト。普通の夏休みの話。

原作『涼宮ハルヒの憂鬱』はメタライトノベル(=メタ萌えアニメ)であるという言い方をされる。このエンドレスエイトはまさにこのメタ萌えアニメ感に満ちていた。

えーと、冒頭から挙げると、プールで水着、仲間とショッピング、浴衣で夏祭り、川辺で花火、虫取り勝負、着ぐるみを来てバイトする、天体観測、バッティングセンター、花火大会、釣り、肝試し、映画鑑賞、ボーリング対決、カラオケ、夏休みの宿題、をやらずに妹とゲームで遊ぶ。これらは学園ものの定番のモチーフなのだ。

それは全てハルヒの計画に従っている。こういった自覚的な入れ子構造がとられていて、とくに今回は これらが20分強に詰め込まれているという無理矢理感も含めて「メタ」感が強く出ていたように思う。

これを順当に展開させたのが、野球回であり宇宙戦艦バトル回であるわけであります。

二点目。

「エンドレスエイト」。そのタイトルを訳せば、「終わらない八月」とでもなろうか。恐らく、来週はキョンが高校野球を見ているシーンから始まるだろう。 この話は八月がループする話で、今週とほとんど同じ風景が描かれるだろう。で、途中で気がついて解決編みたいなお話だろう。

ここで重要なのは、キョンと同じ体験を視聴者ができる仕掛けをとっているという事だ。キョン=視聴者という視線が一貫している。だとすれば、視聴者の前に提出される映像は愚直にループされていなければならない。

この仕掛けは、ややこしいお話である『ハルヒ』を妙なリアリティをもって我々に迫ってくる事の一因となっている。

そして、キョンとハルヒの恋物語ということは、視聴者と萌えアニメの関係性の象徴的関係の表象という事になる。大昔のギリシア人が愛と正義を象徴化させたキャラクター達を抱き合わせていたように。


09.8.3追記。
このエントリはエンドレスエイト一回目直後に書いたもの。
その後、現時点で7回のループが確認されている。
こうなれば、斜線を引いた読みは困難になってくる。
視聴者の記憶をキョンは共有していないのだから。
視聴者と物語を共有できるのは長門有希しかありえなくなってくる。
上記は、どちらかといえば一期ハルヒの読み方となります。
と、上記訂正します。

***

ハルヒについてもけいおんについても書きたい事は少しあるですが、ちょっと時間が無く。日曜日に何かupできるかもわかりませんが、とりあえずはエンドレスエイトの覚え書きでありました。
ハルヒの二期(*)を楽しむために、強引な解釈をしてみようか。
ハルヒの一期は長門の見た「夢」だった。
長門の「現実」はこの4月から始まった。
長門がハルヒたちを待っていた「3年」の重さを私たちは知っている。
祭りの再開ではなく、長門が夢見た祭りを始めようじゃないか。

(以下、ネタバレ)
⇒ 続きを読む
 京アニの『クラナド』を語ろうかなと思っていたのだが、まずは原作をやろうと思い立ってはや数ヶ月。ハードディスクの肥やしになっていた、クラナドのフルボイス版を最近やっております。

 渚→智代→風子→春原→相良→藤林姉妹(今ここ)という感じで、ここまでやってもCG達成率は35%くらい。長大なボリュームだとは聞いていたが、 まだ、半分いっておりません。

この手のゲームの通例に従って、キャラクター毎にシナリオが用意されている。あるシナリオの主演キャラクターには別シナリオではきっちり助演としての役割が与えられていたり、キャラクター同士の会話も描かれる。他のこれ系のゲームだと、こういった横の繋がりがおざなりになっているケースも多い中、きっちり 作りこんでいる印象。繰り返しプレイするうちに、クラナドの世界、あの学校という世界が浮かび上がってくる。

(続く)
⇒ 続きを読む

第十三幕考察の後半です。

色彩の変化
 第十三幕、仁はナギに対する煮え切らない気持ちをふっきる。
 仁の気持ちを反映させるかのように、映像の色彩は移り変わる。空模様は、雨から曇りになりやがて晴間が覗くようになる。それに合わせて、画面を覆っていた灰色の光が取り除かれる。アニメーションで偶然映ってしまったものはおそらく存在していない。

Kannagi13-21
冒頭。ガラスが雨の湿度の高さで曇っている。

Kannagi13-13-1

授業中。曇り空の下、力なく走っている。

Kannagi13-14-1

放課後。つぐみと仁。青空と曇空が半分。

 つぐみに肩を押され、仁は悩みをふっきって自転車でナギの元へと向かう。
 自転車にまたがった仁を描く一連のカットでは、画面が仁と鮮やかな青空だけでレイアウトされている。前回あった白亜父との回想シーンがインサートされるが(そんな得体の知らないものと暮らしていて云々)が、このカットは鮮やかな青色とは対比的にモノクロになっている。また、口を結んだ仁の表情が、自信に満ちた表情になっているという対比も指摘できるだろう。

 そして、突き抜ける様な青空の中、仁は「だって楽しかったんだ」という言葉を宣言する。

 灰色からの解放と、仁の想いの解放。
 アニメーションで偶然映ってしまったものはおそらく存在していない。ゆえに、画面には仁と青空しか写っていない。下に引用した最後のカットは、ほとんど青空がメインといってもいいレイアウトになっている。そして、仁は鮮やかな緑色の中でナギと再会する。

 仁が決意をした段階で物語を支えるベクトルは定まってしまったように思う。ここまでお膳立てされた状況下で、ナギと会えば抱きしめる以外の選択肢はありえないのである。以下に一連のカットを並べてみたけれど、それだけで一目瞭然ではないか。

Kannagi13-15-1Kannagi13-16-1
Kannagi13-17-1Kannagi13-18-1
Kannagi13-19-1

⇒ 続きを読む

前回の更新からかなり間が空いてしまいました。
放送に合わせて更新してきたので、イレギュラーになってしまい申し訳ないです。
が、『かんなぎ』最終話の考察をお送りします。
まずは前半。

*

つぐみの視線
 第十三幕から一つカットを選べと言われたら、このカットしかない。

Kannagi13-1

 仁とナギが手を繋いだシーンの後、掲示板の書き込みが画面に写っているカットだ。
 「ナギ様、仁君と一緒にいたね。」
 「手つないでたよ♪」
 といった、他愛の無い会話がなされている。

 表面的にはナギと仁の様子を実況している掲示板だが、それ自体にはあまり意味が無い。この書き込みを見ているのは、つぐみなのだ。第十三幕を通して、掲示板の書き込みを見ているのはつぐみしかいない。
 1秒にも満たない、瞬きをすれば終わってしまうカットだ。ストーリーはすぐに仁とナギにフォーカスされる。しかし、つぐみの心情や姿は我々の脳裏に焼き付く。

 クレショフ効果だとかモンタージュだとかいう言葉がある。無表情な男性のカットに続けて料理のカットを繋げた映像を見ると、空腹な男性という印象が得られるというアレである。映像と映像が化学反応を起こして、全く新しい内容が生まれる、映像が映像である理由。

 映像/アニメーションで、感情を描くにはどうすれば良いのだろうか。暗く沈んでいるつぐみの表情を捉えるのも一つだろうが、ここではつぐみを描かないという手法がとられている。正確にいえば、カットとカットの間につぐみの感情を生じさせたのである。[ナギと仁が手を繋ぐ]カットと[つぐみの視線]を表すカットの間には、確かにつぐみの感情が存在している。

 映像の力はカットのカットの間に生じる。その描かれないものは視聴者の中でいかようの形も取りうる。しかし、描写の積み重ねで縛り付けて形を取らせるのが演出家の仕事だろう。

 仁とナギが手を繋いでいるという事実をつぐみは、掲示板の画面を通して知る。それは傍観者としての立場ではない。つぐみはこの結末を覚悟した上で仁の背中を押したのだろう…といったつぐみのやるせなさを一瞬にして我々は受け取ることができる。

 この描かれないものを描くために、一つ一つの描写が積み重ねられている。また、直接描かれない故に表現される感覚ともいえる。いわば上澄のようなカットなのである。つぐみ派としては、このカットを選ばないわけにはいかない。

つぐみの決意
 一つの飛躍を生む為に、つぐみの仁を想う描写が積み重ねられる。シリーズ全体を通しても、メイド喫茶に取り残されるつぐみだとか、「仁を守らなきゃ」と決意をするつぐみだったり、仁への想いが画面に出てくる。前回のエントリでは第十二幕の仁の動きにフォーカスを当てたが、つぐみが仁を想う気持ちも描かれている。

⇒ 続きを読む

 前回(第十一幕)で、ナギと仁は喧嘩をする。
 「ナギは何者なのか?」という問い。それは、ナギにとっても「わからないということさえわからなかった」という「地雷」だった。そして、売り言葉に買い言葉。前回の最後、ナギはどこかに消え、オオヌサだけが屋上に取り残された。

 そして、第十二幕「ほんとうにエフェメラル」。
 第十二幕「エフェメラル」では、独り残された仁を描く。シリーズ構成にしろ、演出にしろ、作画にしろ、演技にしろ、全てがからみあった凄い回だった。

 「エフェメラル」では、仁しか描かれない。ナギは完全に姿を消して、画面に現れる事もない。唯一出てくるカットは、仁の夢の中で死体となったナギである。声すらも、仁の幻聴という形でしか登場しない。徹底的なナギの不在、そして、その現状を受け入れ、立ち向かい、絶望する少年の姿が描かれる。
 それ以外は描かれない。素晴らしい決断。

■仁が独りになった40時間
 久しぶりに、映像に「時間」が流れている回である。仁が経験する「ナギの不在」という40時間を徹底的に描こうという演出家の、固い意思を感じる。
 「エフェメラル」では、ナギと喧嘩別れした後から翌々日の朝までの約40時間、仁の姿をたんたんと追いかけている。そこでは、ドラマは起こらない。
 ドラマが生起しないが故に引き延ばし策であるという意見もあるが、それどころか、ドラマが起こるまでのエネルギーが内に内に溜め込まれていくシリーズ構成上欠かせない回である。緩急のついたシーンとシーンの繋がり方、どこを切っても絵になる練り込まれたレイアウトなど、映像としての緊張感も高い。何よりも仁と共に仁の焦りや後悔が煮詰まる様子が、仁の行動や表情、そして40時間という時間が語りかけてくる。

 順番に見て行こう。


⇒ 続きを読む

 カラオケ回だけで、一話。
 そういう思い切りの良さが、山本寛っぽい。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』にはまったきっかけ、山本寛という人を意識せざるを得なかったきっかけが、放送1話「朝比奈ミクルの冒険」だった。ここでは、最初から最後までハルヒ達が文化祭用に撮った学生映画が流れる。その学生映画を再現する為に、逆光・手ぶれ・矛盾のある演出まで、考えられる技巧が凝らしてある。そして、大事なのは「朝比奈ミクルの冒険」がDVDの特典映像ではなくて、放送の1話目で流れたという事だ。私を含めて、初めてテレビアニメでハルヒを知った人の驚きやいかん。これは劇中劇なのだと途中で気がついた時の感激やいかん。なのである。

 こういう視聴者への挑戦とも信頼とも取れるシリーズの構成をしてくるあたりに同じ匂いを感じる。

 アニメオリジナル回だと誤解している人も多いのだが、原作にあるカラオケ回を膨らませたもの(3巻に収録)。

 まんがでカラオケを歌うという回を描く武梨えりも武梨えりだが、それを受けて、神前暁に作・編曲して歌わせる山本寛も山本寛だ。
 ざんげちゃんはアニメオリジナル楽曲であるが、それ以外の楽曲は、原作ではサビだけ歌っている曲にそれらしく作曲をして、前後の部分も補完したものである。それぞれの曲の作詞は武梨えりとはなっていないが、曲の方向性/コンセプターはいうまでもなく武梨えりのものである。

 余談だが、作詞/作曲 武梨えりである所の『ハロー大豆』がプチブーム中。こんな動画なぞ。

 さて、今回はアニメ版かんなぎの収穫ともいえるエピソードだった。
 カラオケの隣に座って欲しくて微妙な仕草をする「つぐみ」、ざんげと目線でやりとりをしてちょっと怒る。それだけで可愛いのだ。

 カットをテンポよく積み重ねる事で、説明過剰にならずさらっと状況を表現している。
 以下に見てみよう。

⇒ 続きを読む

この第十一幕から最終回の第十三幕までは、ナギと仁を中心に物語が進む。

ナギと仁が喧嘩をする。

問題の種となるのは、『ナギ』とは何者なのかということだ。
ナギは悩み、仁はそんなナギを受け入れようとする。

第十一幕では、「オオヌサ」を象徴的に使っている。

 オオヌサはボロボロになってしまっている。パワーアップしたいというナギだが、余計な出費をしたくない仁は軽く拒否する。しかし、仁はそのボロボロになったオオヌサに、今までナギと過ごして来た時間を思い出す。仁は、ナギが風呂に入っている間に、オオヌサを修理する(おそらく半紙を張り替えたり、汚れた箇所を拭き取ったり……)。

Kannagi11-1

 ナギは風呂上がりに修理されたオオヌサを見つける。そして、ナギは皿を洗っている仁の所に行く。「三千円くらいまでなら」と譲歩する仁を遮って、「これでいい」と言うナギ。そして、「明日からこれでばりばり祓う!仁も頼むぞ!」と言うのだが、その表情はなんともいえず、嬉しそうである。

Kannagi11-2

 しかし、その翌日に二人は衝突してしまう。仁は、「ナギ」とは何者か、という地雷を踏んでしまう。ナギは一人学校の屋上で思い悩む。そして、雨の中、ナギは二人の絆であるオオヌサを置いて独り立ち去る。

Kannagi11-3

 オオヌサを巡る絆の確認のエピソード、はアニメオリジナルである(まんが版は自転車置き場に落下する仁から始まる)。二人の絆の再確認、そしていつもの喧嘩とは違う不吉さを表すのにオオヌサは効果的に使われていた。

 けれど、25分足らずの物語の冒頭に仁とナギが絆を再確認するシーンを描き、視聴者にその記憶が新しい中で二人が喧嘩、しかも決定低的な喧嘩をしてしまうエピソードを入れるのはちょっと無理がある。視聴者の感情の流れがつい逆流してしまうのだ。結果として、ナギと喧嘩をするシークエンスが少し急すぎる印象を持ったし、その展開に感情移入がしずらくなっている。

#二人の「喧嘩」の直前に美少女ゲーム風イラストをバックに貴子が「スクールデイズ」とかいったりする。こ
れも感情の流れがストップしてしまうので、個人的にはちょっと疑問だった。

Kannagi11-5

 さて、本題である、仁とナギの喧嘩のシーンである。

 喧嘩のシーンでは、アニメ版と原作版との間で少しセリフが異なっている。この小さな変更点が、喧嘩の意図を大きく変えてしまっている。結論を先にいえば、原作ではナギが問題の中心にいるのに対して、アニメでは仁が問題の中心にいる。
 端的にいえば、原作版ではナギが怒るのに対して、アニメ版では仁が怒るのである。

⇒ 続きを読む

今回の物語は「つぐみ×仁」を中心に動く
 つぐみの中でのこれまで蓄積された「もやもや」が解消する回。

 メイド喫茶での決定的な敗北を感じたつぐみ。
 けれども、
 「私は仁が怒ってたらその理由がわかるし
  泣いてたって笑ってたってわかるよ
  だから怖いとかも思ったことないし
  仁は仁だよ
  だから安心して笑ったり泣いたりしていいんだよ」
 と、仁に向かって言える強さをつぐみは再確認する。

 そのきっかけをあたえる色々な会話がある。直接のきっかけは「ざんげ」との会話で、つぐみは「ざんげ」から仁を守らなければいけないと決意する。この回のクライマックスは橋の上で決意するつぐみであり、それを仁に伝えるつぐみである。そのきっかけとなる「ざんげ」との会話だけれど、セリフとしてはマンガ版と同じである。しかし、そこに間をいれたり、つぐみのリアクションを実に丁寧に捕捉したりすることで、なんともいえないふくらみが出てきている。

 橋はドラマが起こる場所である。
 つぐみは、一人、雨の中を、過去を振り返りながら進む。
 そして、決意をする。
 ここのセリフの切り出し方、演出、すべてがマッチしている。

 「仁がざんげちゃんとつきあう
  まわりの誤解を説く為に
  でもあの人、なんだか仁をもてあそんでる感じにしか
  (じゃあ、あなたがつきあう?)
  そんなの一番ありえない!
  だって、仁だよ!
  ずっと一緒で、ままごととかもしてたんだから。
  そんな対象になるわけないじゃない。
  なんでみんなそういう目でみるのよ
  おじさまにもたのまれたのに。
  そうだ。私が守らなきゃ。
  ざんげちゃんに話してる場合じゃないよね。
  ほんと、わたしがなんとかしなきゃ。

 決めのBGMも流れるし、つぐみの「決意」が原作以上に強調されている。

Kannagi9-2

 ここで、オママン原作の劇中劇が始まる(仁がつけっぱなしにしているテレビ)。
 「地震中継」を挟んでくるのは、なんとも小憎らしい。
 ドラマを最高潮に持ち上げておいて、そこで素直に落とさない。この間の置き方、照れ隠しともカオスともいうこの感覚が『かんなぎ』だろう。

 そもそも、つぐみが「守りたい!」と決意するきっかけは「ホモカップル事件」というどう考えても間が抜けているものなのだ。仁のつぐみのセリフと、つぐみから仁のセリフがそもそもつりあわないように設計されている。

 仁の風呂をのぞいてしまうつぐみ。

⇒ 続きを読む

作画監督は第三幕「スクールの女神」とかぶる。

脚本:本田透
絵コンテ・演出:ひいろゆきな
作画監督:河合拓也 亀谷響子
作画監督補佐:後藤孝宏
制作:A-1 Pictures

 今回の脚本が本田透氏、次回の脚本が高橋龍也氏となっている。
 倉田氏の脚本にしては珍しく、ゲスト脚本家が二人迎えられているという形になっている。

 第八幕「迷走嵐が丘」と次回の第九幕「恥ずかしい学園コメディ」は二話でひとまとまりになる。ゲスト脚本家同士がバトンを渡し、第八幕でばらまかれた伏線を、第九幕で回収する。という構成である。

 高橋龍也氏といえば、代表作は『雫』『痕』『To heart』と、ビジュアルノベル/ノベルゲームにある種のモードを作り出した張本人である。PCゲームに限らず、小説やマンガに至るまで雨後のタケノコのように様々な亜種が生まれたが、オリジナルに近い人である(*)。

(*)という認識をしているのですが、ちょっとおかしくねという人はコメントなどいただければ幸いです。

 で、本田透氏といえば、『電波男』が有名である。いうまでもなく、「ある種のモード」を象徴する人物であろう。『電波男』は『電車男』に対するメッセージである。すなわち、『電車男』ではオタク男子がエルメスという普通の女性に恋をし、2ちゃんねるの住民の力を借りて脱オタクをし結ばれるというストーリーである。オタクにとっての理想の物語というように解釈されるが、果たしてそうであろうか。
 本田透は、「脱オタク」を何故しなければならないのか?という問題提起をしたのである。オタクは脳内の彼女と共にオタクとして生きれば良いのではないか、と「電波」と自嘲しながら、同時にそれ以外ありえないという切迫を持って主張をした。
 そういった「思想」は「ある種のモード」を代表している。

 では、『かんなぎ』である。
 今回の第八幕に関しては、おはなしにケリをつける/伏線を回収する/風呂敷をたたむという事を意識せず、開けられる引き出しは全部開けました!というような印象が強い。ストーリーの根幹としては、ナギの別人格の顕現とその後のナギであるとか重要な部分も描かれたわけだけど、水と油のような気がしないでも無い。
 小ネタはいっぱい散らばっている。大鉄×仁なんぞ考える人にとっては今回はどうしても参照しなければならない回になるはず(あとは、原作の中学校時代のエピソードとかはマストだろうか)。

 本田透「らしさ」といえば、「過剰な妄想/電波にふける大鉄」、『電波男』でも展開されたモテ/非モテを中心にしたピラミッド構造を妄想する大鉄など。大鉄=本田透というような見立てでもって、暴走していた。

 おそらくは、賛否両論であると思う。
 大鉄をあそこまでいじってしまうと、原作原理主義者的な視点からいえばきついだろう。
 とはいえ、二次創作としてはありだとも思う。武梨えりも『かんなぎ』を二次創作的につくっている所もあるわけだし…と考えると微妙な所である。

 ただし、今回の評価は、次回の第九幕「恥ずかしい学園コメディ」と合わせて考えるべきだろう。
 大鉄と仁とナギという奇妙な三角関係を過剰に妄想気味に作られたのが今回であると思う。

 次回、そういった三角関係を「恥ずかしい学園コメディ」がどのように風呂敷をたたんでくれるのか。それによって、第八幕の位置づけが定まるように思う。
 自己言及タイトルが少し気になるけれど…。



と、今回ちょっと披露気味なので取り急ぎ。
深夜に余裕があったらもう一回更新するやも。

オリジナル回なのでもしやと期待していたが、山本寛絵コンテ回。

しかし、冒頭の数カットが、徹底的に動かない。

Kannagi-7-1

Kannagi-7-2

Kannagi-7-3

Kannagi-7-4

⇒ 続きを読む

今日は時間があるので、丁寧に語ってみたいと思います。

序。
 印象に残ったシーンは二つある。
 一つ目は、つぐみが仲間達が居なくなったメイド喫茶の中で一人片付けをしている所、
 二つ目は、ナギが夕日の中、仁に嫌われているのではないかと不安になって話しかける所だ(*)。

Kannagi6-1Kannagi6-2Kannagi6-3

Kannagi6-4Kannagi6-5Kannagi6-6

 つぐみもナギも仁にちがった種類の「片思い」をしている。ちょっとしたすれ違い。そのちょっとしたすれ違いが持っている痛みがそのシーンには現れている。恋をしたら誰しもが感じる様な痛み。「片思い」をしている相手が、自分の事を好いてくれているのではないかという期待と、自分のことなぞはどうでもいいと思っているのではないかという不安。その関係性が、確定しないから生まれる痛み。

 『かんなぎ』という物語、一見、仁を中心としたハーレムものに見える。しかし、ここでは仁を媒介として、つぐみやナギという女の子の心情を描いているのである。
 武梨えりの特異性は、乙女ちっくな感性と繊細さをオタちっくな表層とネタ化で包み込んでしまうことにあるのではないか(**)。アニメ版では原作にあったこの要素を映像の力で、強調している。

 だからこそ、男の子の願望としての女の子ではなく、対象としての女の子を描けているのではないか。だからこそ、『かんなぎ』は生っぽいのではないか。

(*)このエントリではこのシーンに向けての伏線を拾う予定だが、このシーンを単体でとっても非常に繊細にできている。
1カット目。つぐみが片付けをしている時のテーブルのリアルな汚さ。そこにはメイド喫茶というファンタジーではなくて、ウエイトレスのアルバイトという当たり前の日常が広がっている。
2カット目。そして、つぐみの物思いにふける顔が映し出される。そこで一瞬動きが止まる。この一瞬の静止によって視聴者につぐみの感情が叩き込まれる。
3カット目。一人取り残されるつぐみ。今までの狂騒と対比的に、つぐみは一人取り残される。彼女はこの状況の風景に過ぎず、それが彼女の切なさを表してもいる。

(**)那須きのこが王道の物語を、様々なギミックで煙に巻くのに似ているかもしれない。那須きのこと武梨えりは、この照れくささの系譜で結ばれている。山本寛が演出の参照軸として80年代ドラマを持ち込んだのは、この照れくささをはがそうとする演出家の豪腕なのかもしれない。

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